僕に面と向かって「アンタのブログ、面白くない。文章長いし、難しいし…(だから見ない)」と言い渡してくれた猛女が立ち現われたから、標記の件は確かだろうてf(^^ゞただ、そう言われてもねぇ(-_-;)僕は人気を取るためにブログを始めた訳じゃぁないんでねぇ。面白さだけなら、密かにつけている僕の日記、こっちの方は絶対面白いぜ(*^^)v何せ書きたい放題だから辛辣至極・痛快無比。公開しようものなら物議を醸すf(~_~;)。秘密の日記の外にわざわざブログを書くのは“公開”する覚悟が生み出す緊張感がなかなか心地好いから。それと、好きな事や嵌っている世界について随筆随想的に発表するというのは己を知る好い機会になる。要するに僕は自分のためにブログを書いているのであって、他人(ひと)を楽しませよう、他人に認められようなどという魂胆はさらさらないf(-_-)。もっとも肝胆相照らす同好の人が現われてくれれば、人間として望外の喜びですけどね\(^o^)/。という訳でこのブログは今後とも、NHK教育TV高校講座調で行きますんで、民放TVお笑いタレント仕切り番組調のブログをお望みの方は覗かないように願いま~すm(__)m。なお、辛抱して読んでくれた人の苦情はどれだけでもお聴きしますのでご遠慮なくどうぞぉ(^O^)/追伸――このブログに《七重(ななえ)ちゃん》という素敵で不思議な読者がついてくれましたぁ!(^^)!七重ちゃ~ん!これからもヨロシクぅf(^O^)/
2009年8月21日金曜日
安曇野で槍ヶ岳、発見\(^o^)/
08:00、ホテル発。好天、ご機嫌の女房から、権兵衛トンネルを抜けて木曾へ出るか(西進)、安曇野へ行くか(北上)、選択を迫られたが、どっちでも好かったので返答しなかった。今日は旅に出て初めての晴天。女房は「よし、山を見たいから」と勝手に決断して伊那谷を北上して松本を目指し始めた。よく分からない理由。
岡谷から山を越して松本平に下りる入口で穂高連峰、乗鞍岳を望見。松本盆地の東麓ルートで、常念岳の左に槍ヶ岳が見えることを女房が大発見して独りで感激。記念に槍の穂先を撮影してやった。
白馬連峰が丸見え。
女房は白馬村を走るのは久し振りだそう。富山平野に入ると湿気が多く立山連峰に雲が湧いて立山・剣岳は見えなかった。
16:00、帰還。家でゆっくり出来て好かった!(^^)!
2009年8月20日木曜日
夫婦水入らずになったら途端に土砂降りがぁf(-_-;)
08:00、ホテル発。09:40、空港ロビー到達。
10:10、検査所前で三女と別れる(最後まで撮影禁止)、やれやれf(^_^;)。札幌便の出発は10:40。
伊勢湾岸道路に乗り入れ、刈谷PAで「えびせんべいの里」を大量仕入れ。
女房が伊那谷飯田市の旧市街地探訪を提案、同意。
豊田JCTで東海環状自動車道に入る。土岐JCTで中央自動車道に入る。入る前から土岐~恵那間16km渋滞の表示。下道よりマシとの判断で突入。幸い渋滞気味ながら流れた。恵那を過ぎたら今度は飯田まで19km渋滞と出た。やっぱり流れた。飯田の市街地を走っていたら「元善光寺」の表示があったので気が変わり表示を辿ることに。郊外にあった。
「善光寺」の名は元善光寺の開祖「本田善光」の名に由来するんだとか。見事な百日紅の古木が二本。
「ホテルルートイン伊那インター」に着いたのが午後3時。直ぐに伊那市街へ散歩に出た、夫婦水入らずで、女房は日傘を差して。
市街地に入ったところで大粒の雨、やがて土砂降り。《みやま画材店》に逃げ込んで絵具を買い込んだ。それから日傘を相合傘にして近くの「養老の瀧」に行き一杯やった。後は伊那北駅前でタクシーを拾ってホテルに戻って、寝た。
2009年8月19日水曜日
旅先で親子喧嘩・・・してる場合か(`´)
瀬戸大橋を渡る。
途中彦島PAに降りた。
中国に上陸。
写真は下津井漁港。
山陽自動車道をひたすら東進。早いこと!吹田JCTで近畿自動車道に入り、松原JCTで西名阪自動車道に入る。三女が斑鳩《中宮寺》の《弥勒半跏思惟像》に関心を示したので法隆寺ICで下りた。時に正午just。《中宮寺》は法隆寺東院(夢殿)の裏手で昔ながらの隘路が続き駐車場どころでない。行き過ぎたら意外にも《法輪寺》
《法起寺(ほっきじ)》
に行き着いた。写真は法起寺の国宝・三重塔。
僕は石川一水会の連中と《法起寺》に写生に来たことがある。小躍りして見学。《法輪寺》は家族三人一緒に見学したが《法起寺》は僕独り。法起寺見学に当たり三女が僕に対し手前勝手に時間制限を課した、それが5分間。その時間を無視したと言って三女が怒ること怒ること(>_<)。そのくせ昼食を摂るとき三女お気に入りのStarbucks Coffee店を探して1時間半も大和郡山界隈を走り回ったんだから訳が分らん。
ところで名張市は今日の宿泊地の伊勢街道・久居(ひさい)に至るコースの道中にある。それで僕が歴史ある名張の市街地の見分を提案し女房が賛成したが、運転していた三女が興味がなくて寄り道に不服。むくれてうるさいので僕は宣言した、「家族旅行はもう止める、今回限り(`´)」。
名張の街は想定よりも大きかった。開発区画された新市街地と隘路が不規則な旧市街地とが近鉄大阪線を挟んではっきり分かれている。新市街地は大阪・奈良のベッドタウン。人口は8万人を超している。伊賀の山中深くにこれだけの都市が存在しているのが不思議の感。「ホテルルートイン久居」到着、18:30。
2009年8月18日火曜日
災難がやはりやって来た。
04:10、七尾発。
08:00、京都岡崎着。
京都から南下、名神高速道が西宮を頭に40km渋滞の表示を見て、下道(したみち)を高槻・茨木・箕面・池田・伊丹と山沿いルートで神戸に出た。途中箕面の大スーパーの駐車場でのこと、僕がカメラを提げて出ようとすると三女が「カメラを置いて出て(`´)、絶対(私を)写さないで<`ヘ´>」ときついお言葉。僕はこれを境目にむかっ腹をずっと立てている、家族の記念写真を残す楽しみがなければ誰がこんな雪隠詰め旅行に四日間も付き合うか(`´)!
神戸市街西端の須磨駅に到達したのが13:00。
須磨から明石海峡大橋の入口のある垂水区に至る間は山が海にせり出している。源平の《一の谷の合戦》があった所。この間が本格的な渋滞。垂水区にやっと辿り着き愈々明石海峡大橋に入った。
淡路島に上陸し「道の駅あわじ」で一服、僕はやっと外に出て念願の写真撮影。遺憾なことに明石大橋は靄の中。
明石蛸(多分)を食した。
洲本ICで降りて洲本市街地を見分して回った(僕の発案。三女は無意味だと不満顔)。想像よりも小さかった。都会と言うよりも田舎町。この小さな町の高校球児達が昭和28年春の選抜高校野球大会に初出場し鬼神に取り憑かれたように打ちまくりあれよあれよと言う間に全国制覇を果たしたとはちょっと信じ難い。
鳴門大橋を渡り四国に上陸。
高松自動車道を西進、斑(まだら)渋滞に遭いながら坂出へ。計画では高松で下りて有名な讃岐うどんを食する筈だったが、観光案内書に載っているうどん店はどこも早朝に営業開始し午後4時には閉店するらしいので断念。高松市街を通過中《屋島》を望見。これでも火山(粘着性のないドロドロの溶岩)。源平の《屋島の合戦》の舞台。
坂出到着は17:40。
2009年8月12日水曜日
夏がやっと来た…か(-.-)
土手を歩くと裏山から油蝉の鳴き声がし出した、盛んに。やっと夏が来たような感じ。しかしヒグラシの声も相変わらずで、本当に夏が来たのか疑問f(-_-;)。明日早朝七尾を出発して家族旅行に出る。女房のハリアー(ハイブリッド)で。初めて明石海峡大橋を渡り淡路島に入る。それから鳴門大橋を渡って四国に上陸し西進して西条で一泊。翌日は今治から「しまなみ海道」を橋と島伝いに渡って尾道に出る。ここまでは女房から話を聞いている。若い頃は僕が旅行計画を起案していたが、今は女房が立案し僕が追従している。だから訊かないと分らないが僕は面倒臭いので訊かない。女房が漏らした話を繋ぐと、尾道からUターンしてまた「しまなみ海道」を渡り四国を東進して徳島か小松島辺りからカーフェリーに乗って和歌山に渡り、南紀で子沢山パンダに会い、那智の滝にも足を伸ばし、毎度お馴染みになった常滑に出て中部国際空港で三女《夏子》とお別れして夫婦だけになる、あとは中部の山々を縦断して只管北進して七尾に戻るだけ、ということらしい。これを大旅行と思う人は旅の素人。僕達家族にすればちょっとした思い付き旅行程度。何せ子供達(娘三人)が小さいときは地理好きの僕が旅行計画を立てワゴン車で九州・中国・四国・東北地方と東奔西走した(近畿・中部地方一円は言うに及ばずもう縦横無尽に走り回った)、その極め付けが本州一周夏休み家族旅行(七泊八日、走行距離4200km)。当時運転は夫婦交代制。最近は僕は殆ど運転しない、女房と娘達がしてくれる。僕は何をするかというと、走行中は後部座席でパソコンを弄(いじ)くり、停車すると運動療法(散歩f(~_~;))をし写真を撮りまくる。
太平洋側は集中豪雨に晒されて酷い地滑り洪水災害が続出し、東海地方には地震が襲来して東名高速に通行止め区間が発生している。盆休み+高速料金1000円ポッキリ制による大渋滞も覚悟せねばならず先行き何が起こるか分からない、そんな中での旅立ちとなるが先ずは無事に帰還することを心掛けよう。