2010年5月7日金曜日
5/7(金)、今夜の泊まりは妙高高原・池の平の定宿《ペンション・シェーネ》
家を出たのが先々週の土曜日、無宿流浪の旅を続けて今日が二週間経った金曜日、丸二週間ぶりに屋根の下で布団に収まることになる。パパさん・ママさんは二週間ぶりに屋根の下で泊まると聞いて目を丸くした、多分呆れた。シェーネの好い点の一つはインターネット・ランに入れること。これでプログの編集が二週間ぶりにできる。この二週間、集めた資料が膨大なのでつまつまと作業を進めないと。
2010年5月6日木曜日
5/6(木)、今夜は福島県喜多方市の田舎「道の駅・喜多の郷」でお泊まり。
夕暮れになったので寄ってみたらとんでもなく立派で大きい道の駅、気に入ったので今夜の寝場所はここに決めた。
今朝は寒河江(さがえ)SAで五時に目が覚めて、手入れしてなかったパレットを手入れしたりしていたら時間が経って食堂が開いたので朝食を摂って出立した。寒河江ICで下りて一年振りに山形盆地に入ったら、目的地の「大淀」がICの北か南かそれすら分らない。とりあえず北上したら馴染みの「道の駅・寒河江」があった。が、ここより北か南かやっぱり分らない。九時になったら施設の中に入れたので土産物店のオバサンに訊いたら親切に教えてくれた。北上。そして「大淀」は→(右折)の標識、記憶が漸く蘇った。到着が十時、準備して描き始めたが、この時点で午前一枚午後もう一枚の予定はキャンセルして、午後は道の駅・寒河江で仕入れた情報で重文一杯の古刹「慈恩寺」があることを知ったのでそこの探訪に費やすことに。正午の時報が鳴ったとき筆を止めた。
そして慈恩寺へ。まさに古刹、仏像は重文級がゴロゴロ。が、本堂の秘仏33体を拝見できないのは残念、何せ説明してくれた人がこの寺に50年いて一度しか拝見してないというんだから致し方なし。薬師堂の薬師如来像と日光・月光両菩薩像、背後に控える十二神将像を拝見することが出来た。いずれも小像だが重要文化財、見応えがあった。本堂の片隅に阿弥陀仏像が置かれていたがこれは丈六大仏の胎内仏だったそう、丈六仏の頭部だけがかつて寺に保存されていたが窮乏した折古物商に売られたという。この後いよいよ連休旅行の最後に妙高・信州に入り脇目も振らず絵を描こうと帰路に就いた。ところが山形道から東北中央道に乗り換えたらこれが中途半端で米沢の郊外の下道を走ることに。そしたら「上杉神社」の標識が出たので行き掛けの駄賃とハンドルを切った。かつて家族旅行で来たことがあるが、家族と一緒だと思う存分歩き回れない、全容が分らない。今回上杉神社の全容理解に挑んだ。が、午後四時には拝殿に至る神門が閉ざされていた。それでも歩き回ってほぼ全容を得た。米沢城跡にある、軍神・上杉謙信公を祭神とする、本殿の屋根に千木・鰹木はない、謙信公の遺骸はかつて本丸の一隅を廟としていたが(越後から謙信公の遺骸を詰めた甕を会津へ、そして米沢へと移したそう)今は市内の上杉家の廟に移されている、別格国幣社だった、伊達政宗はここで生まれた。夕暮れが迫る中とりあえず喜多方を目指していたらこの道の駅に辿り着いたという訳。明日は早くにここを立ち関越道・北陸道を伝って妙高に行く。天気が好ければ午後に一枚は描ける。それじゃまた明日(^O^)/
ところで僕の発見した海辺の観音様、感想はどうですかぁ。
今朝は寒河江(さがえ)SAで五時に目が覚めて、手入れしてなかったパレットを手入れしたりしていたら時間が経って食堂が開いたので朝食を摂って出立した。寒河江ICで下りて一年振りに山形盆地に入ったら、目的地の「大淀」がICの北か南かそれすら分らない。とりあえず北上したら馴染みの「道の駅・寒河江」があった。が、ここより北か南かやっぱり分らない。九時になったら施設の中に入れたので土産物店のオバサンに訊いたら親切に教えてくれた。北上。そして「大淀」は→(右折)の標識、記憶が漸く蘇った。到着が十時、準備して描き始めたが、この時点で午前一枚午後もう一枚の予定はキャンセルして、午後は道の駅・寒河江で仕入れた情報で重文一杯の古刹「慈恩寺」があることを知ったのでそこの探訪に費やすことに。正午の時報が鳴ったとき筆を止めた。
ところで僕の発見した海辺の観音様、感想はどうですかぁ。
5/5(水・こどもの日)、今夜のお泊まりは山形道上り線「寒河江SA」どす。
今朝は05:00に目覚め06:00に気仙沼南の道の駅「大谷海岸」を出立。山形を過ぎるまで国道・東北道・山形道と順調に繋いできたんだが、睡魔の襲来に耐えきれず途中のSAで横になったら…目が覚めたのが2時間近くも経った正午過ぎ。これで今日の日程は狂った。第一目標の羽黒山の国宝・五重塔を見学することに絞った。鶴岡ICを出たのが12:30、羽黒山の鳥居前に着いたのが13:00過ぎ。応神門を潜ってしばらく行くと五重塔があった。そこから山頂への石段を登り始めた。「一ノ坂」「二の坂」「三の坂」と急で長い坂が三つある。丁度真ん中の茶屋で抹茶付きあんころ餅を食べて休みを入れ何とか山頂に辿り着いた。そこには素朴雄大な「三山神社」の本殿が建っていた。前に家族旅行で来たときは、この石段登りを全部省いて有料道路で山頂まで来たので「三山神社」が何処に立っているのかも分らず、羽黒山は何処に在るのかと探す始末だった。何のことはない、羽黒山の山頂に鎮座していたのだ。出羽三山と一口に言うが、月山と湯殿山は高くて大きい、しかし羽黒山は破格に低くて小さい。このアンバランスの意味が漸く理解出来た、羽黒山は一般参詣者がいつでも登頂参詣出来る山として選ばれていたのだ、それで破格に低く小さくて正解。因みに三山神社の掲額を見ると中央に「月山神社」左に「湯殿山神社」そして右に「出羽神社」となっている、出羽神社であって羽黒山神社ではない。三山の神社の祭り・行事はすべてこの羽黒山で執行されるという。お賽銭をあげていたら中で宮司が儀式を執り行っていた、意外なことに耳にしたのは祝詞ではなくどう聞いても御経。この異様に巨大でボリュウム感のある建物は神社の拝殿じゃないのでは、そう思って背後を歩いて見るとやはり本殿がない。それじゃあこの巨大な建物は本殿兼拝殿なのかと思ってみてもどうもそうではない、屋根の上に神社的な千木・鰹木が乗っていない。そうなのだ、この巨大でボリュウム感のある建物は神社の本殿・拝殿ではなく仏閣二近いのだ、仏閣的な本堂なのだ。修験道・神仏習合が現代に生きていると理解すればよい。この本殿風本堂に接続して御先祖の霊を供養する巨大な施設も整っている。更によく見るとこの異様な本殿はもう一方を長い渡り廊下で「斎館」に繋げている。斎館では精進料理を振る舞う、直合(なおらい)のためなら本殿と接続させる必要はない、精進料理を出すことが三山神社では余程大事なことなのだろう。どうやら三山神社は普通の神社神道ではない、修験道・神仏習合の精神・伝統・形式を濃厚に残している。夕暮れ近い五時に応神門に着いた。この応神門もその昔は仁王門と呼ばれ仁王様が収まっていたと門前で土地の古老が説明してくれた。古老の話では、明治維新の神仏分離・廃仏棄釈の嵐が吹き荒れたとき一山の仏像などは離散したが相当数は宿坊街「手向(とうげ)町」の中の「黄金(こがね)堂」に収容された、黄金堂は重文になっているとのこと。夕暮れの中、黄金堂に寄ってから羽黒町を後にした。明日は天気が悪くなければ最上川の「大淀」という地点で絵を描く、午前と午後に一枚ずつ。二つの構図がとれる絶好点。「真下慶二美術館」のある所。雨なら妙高を目指して走り続けるつもり。
2010年5月4日火曜日
5/4(火)、今夜のお泊まりは道の駅「大谷海岸」、気仙沼の南
今日は早朝に道の駅「みやこ」を出立して、釜石・大船渡・陸前高田と経由して気仙沼の南の道の駅「大谷(おおや)海岸」に入り込んでここでお泊まり。今日も天気が好くて有難かった。「碁石海岸」という名勝地を歩きに歩いた。今日の歩数は23,800歩。海岸線のup downがきつくて足が棒。昨日の轍を踏まず蜂蜜とブドウ糖、それと爽健美茶を持って出たので安心、それを入れた袋をズボンのバンドに吊るして歩いた、このスタイルが写真を撮るのには好いf(^^ゞ。とにかく三陸海岸のエキスを満喫したよ\(^o^)/疲れたけど唐桑半島の「巨釜(おおがま)」「半造」という景勝地も歩いた。今日の最後の訪問地は、一旦通り過ぎたので断念し他を見て歩いた末にやっぱり逆戻りして夕方に訪れた『大理石海岸』。運命だったんだなぁ、そこで奇跡に遭遇した。何と観世音菩薩様に出逢った。遊び過ぎて頭が変になったんでは…と思うだろうけど本当。岩に自然が造形した芸術の粋、見る目(天才)のある者に対してしか啓かれない神秘の造形。これまで千年以上人間に対して啓示されていたのに誰の目にもそれと見えなかった観世音菩薩あるいは聖母マリアの美しく清らかな慈顔、それを手を合わせながら撮影してきた。奇跡が本当にあることを示すために写真を示しておく。さてどう思われるかな。
5/3(月・憲法記念日)、今夜のお泊まりは道の駅「みやこ」
今日の午前は岩手山を巡って走り回った。「焼け走り』の溶岩界を歩いた、宮沢賢治のいう「鬼人の棲むところ」。岩手山と北上川の構図を求めて渋民村にも行った、啄木公園と「啄木記念館」。陽が高くなると靄って岩手山の輝きがなくなった、山がダメなら海があるとばかりに午後から三陸海岸に向かった。先ずは宮古市の「浄土ヶ浜」、昔家族旅行で行ったところ。ここで夕暮れを迎えたが、歩き過ぎて最後にガス欠(血糖値低下)。普通の人なら単なる空腹だが僕の場合は血糖値を下げる劇薬を服用しているから致命的、ブドウ糖不足で脳が意識を失う。駐車場までは遠いし道中up down がきつ過ぎるしで覚悟したf(+_+;)そのとき不図折角昇ってきた急坂を逆戻りしてレストハウスでソフトクリームを買ってエネルギー供給しようと気がついた。辿り着くともう販売員は居なかったが呼び戻してくれてセーフ。250円のソフトクリームの有難かったこと。宿泊は体調も考えそのまま宮古市に居坐って道の駅「みやこ」、港にある。
5/2(日)、こん夜のお泊まりは「岩手山SA」
本当はもっと南下するつもりだったんだが、夕暮れ近く東北道が山また山を抜けて平野部に出たらいきなり優美な裾野をひく雄大な山が現れた。岩手山。もう直ぐ日没、感動したのと疲れたのとあって「岩手山SA」に入り込むことに。明日、岩手山を背景にした構図を探して絵を描く心算もあったがそれはどうなることか。
今日は05:00に目覚め、05:30に「ゆったり駐車場・横浜町」を後にした。夜が明けてみて驚いたが、目の前は陸奥湾だった。浅虫温泉の道の駅に寄って情報を得、「三内丸山遺跡」を見学していくことに決定。入場開始は09:00なので1時間ほど時間潰しをした。午前中は遺跡見学で費やした。三内丸山遺跡は巨大で当時の都的な機能を果たした縄文遺跡、日本国民必見。午後、八甲田山に分け入った、「酸ヶ湯」で一風呂浴びるつもりが車列の道へのはみ出しがひどいのを見て止めにした。奥入瀬峡谷を遡上して十和田湖に戻った。今度は南回りの湖岸道路を走り、「十和田神社」を探訪してから「初荷(はっか)峠」を越えて「十和田IC」から東北道に入った。初荷峠を越えたかった、今日の日程はすべてこの初荷峠越えのためにあったようなもの。初荷峠で展望できる十和田湖の写真を撮りたかった。家族旅行で昔、今日と逆に大館方面から上って来て峠に差し掛かったときに見た、眼前に展開した神秘のブルーに輝く十和田湖の姿が忘れられなかった。十和田神社の祭神は「青龍大権現」、十和田湖の水神様。こんな超ローカルな神様を祀っている神社は珍しい。東北道に入りいざ南下するとなると、ひたすら北上し続けてきたので感慨が湧いた、旅が終焉に向かって舵を切った、家に近づく。今日は一日中天気が好かった。
今日は05:00に目覚め、05:30に「ゆったり駐車場・横浜町」を後にした。夜が明けてみて驚いたが、目の前は陸奥湾だった。浅虫温泉の道の駅に寄って情報を得、「三内丸山遺跡」を見学していくことに決定。入場開始は09:00なので1時間ほど時間潰しをした。午前中は遺跡見学で費やした。三内丸山遺跡は巨大で当時の都的な機能を果たした縄文遺跡、日本国民必見。午後、八甲田山に分け入った、「酸ヶ湯」で一風呂浴びるつもりが車列の道へのはみ出しがひどいのを見て止めにした。奥入瀬峡谷を遡上して十和田湖に戻った。今度は南回りの湖岸道路を走り、「十和田神社」を探訪してから「初荷(はっか)峠」を越えて「十和田IC」から東北道に入った。初荷峠を越えたかった、今日の日程はすべてこの初荷峠越えのためにあったようなもの。初荷峠で展望できる十和田湖の写真を撮りたかった。家族旅行で昔、今日と逆に大館方面から上って来て峠に差し掛かったときに見た、眼前に展開した神秘のブルーに輝く十和田湖の姿が忘れられなかった。十和田神社の祭神は「青龍大権現」、十和田湖の水神様。こんな超ローカルな神様を祀っている神社は珍しい。東北道に入りいざ南下するとなると、ひたすら北上し続けてきたので感慨が湧いた、旅が終焉に向かって舵を切った、家に近づく。今日は一日中天気が好かった。
5/1(土)、今夜の泊まりは下北半島。
今19:45、むつ市から野辺地に向かう途中の「ゆとりパーク」に跳び込んだ、今日はもう目標の浅虫温泉の道の駅に行くのは止めてここに泊まる。目下セレナ一台切り、ここは辺境の地だから夜が明けても僕の外には誰も泊まっていない可能性が大。浅虫温泉は今からだと遠過ぎる。それにしても道の駅「ひろさき」は旅の通達に人気があった、朝目覚めたら何と満杯になってみんな寝ていた、夜寝るときはパラパラとしか居なかったのに。
今日は05:00にお目覚め。06:00に十和田湖に向けて出発、十和田湖に着いて湖の北周りで「子の口(ねのくち)」に行くコースを選んだらこれが山岳道路で峻検な尾根伝いに走る、天気が悪く霧が出てしかも路面は積雪、冬タイヤのままで良かったと思える瞬間が来るには来た。今日も最悪ペースに嵌るかとウンザリしながら奥入瀬渓流の流れ出し口の「子の口」に到着。07;00には渓流沿いの国道を下り始めた。殆ど車は来ない、観光客との勝負は「機先を制す」るに限る。渓流沿いの遊歩道を1万数千歩散策、写真も撮りまくった。この散歩、雨に見舞われなかったから幸せ。子の口から直ぐの「銚子大滝」を眺めながら、小学校の教科書で読んだ「和井内貞幸(わいないさだゆき)」の話を思い出した。十和田湖でヒメマスの養殖を成功させた人だが、幾らヒメマスを放流しても海に出た彼等は帰って来ない、その原因が滝にあると考えヒメマスが昇れる傍流を作って遂に成功したという話。話の滝が「銚子大滝」だと分った、この滝なら龍になる鯉でも昇れまい、何せ普通の滝と構造が違う。傍流も滝の横にそのままあった。この話、妻の支えがあったればこそという筋立てが隠し味だったような気がするなぁ、妻の名は「節子」?。10:30頃奥入瀬渓流と別れた。次に目指すは…下北半島先端、「恐山(おそれざん)」。八戸の北に出てそこから下北半島・太平洋岸を北上したが、この半島は能登半島級にデカイ、目標のむつ市の遠いこと。途中睡魔に襲われ続けて危険水域を突破したので名も無い神社の境内で仮睡、目覚めたら1時間経って時計は4時を大きく回っていた。恐山に着いたのはもう5時近く。恐山には驚かされた。ここは神社寺院とは範疇を異にする。まさに『霊場・恐山』。異界。「いたこ」の婆さんも自然発生する筈。僕も水子供養のお地蔵さんの前に来たとき、陽の目を見ることなく母親の胎内で9ヶ月目で亡くなった双子の娘が現れた。二人は一緒にいた、お父さんが「あの世」での務めを終えて「この世」に来るときまでいつまでも待っている、ということだった。二人にすれば「この世」は「あの世」で、我々の「あの世」こそ「この世」なのだ。お父さんはもう直ぐ行くぞぉ、そう誓った。双子の名は、坊さんの付けてくれたのが「智子」と「信子」、だが僕はずっと気に入らない。そこで30年掛かって温めた名が「雪」と「桜」。「この世」にいる三人の姉妹の名は合わすと「さと」の「あき」「なつ」、里の四季に冬と春が足りない、そこで雪と桜という訳。双子もにっこりとしてくれるのじゃないか。恐山に伽藍はないと思っていた、しかしそこには立派な伽藍があった、配置も好い、境内に硫黄温泉の「男湯」「女湯」もある。何処の宗派にも属さない、地蔵堂を本殿・本堂とする伽藍、そこには宗教発生にまで遡る宗教の原型がある、自ら称して「霊場・恐山」。本州の北端まで来たら、明日からは南に下るしかない。さて何処に行くか。先ずは青森に出る。青森には何もないから八甲田山に分け入るしかない、するとまた奥入瀬渓流に出て今度は遡上して十和田湖に入ることになる、それなら20年前家族旅行で来て快晴の日の十和田湖のブルーに出逢って目を瞠ったことがある「初荷峠」に出たい、そうなると秋田県大館市に下りる。その先は全く未定。今日は朝から快晴\(^o^)/
今日は05:00にお目覚め。06:00に十和田湖に向けて出発、十和田湖に着いて湖の北周りで「子の口(ねのくち)」に行くコースを選んだらこれが山岳道路で峻検な尾根伝いに走る、天気が悪く霧が出てしかも路面は積雪、冬タイヤのままで良かったと思える瞬間が来るには来た。今日も最悪ペースに嵌るかとウンザリしながら奥入瀬渓流の流れ出し口の「子の口」に到着。07;00には渓流沿いの国道を下り始めた。殆ど車は来ない、観光客との勝負は「機先を制す」るに限る。渓流沿いの遊歩道を1万数千歩散策、写真も撮りまくった。この散歩、雨に見舞われなかったから幸せ。子の口から直ぐの「銚子大滝」を眺めながら、小学校の教科書で読んだ「和井内貞幸(わいないさだゆき)」の話を思い出した。十和田湖でヒメマスの養殖を成功させた人だが、幾らヒメマスを放流しても海に出た彼等は帰って来ない、その原因が滝にあると考えヒメマスが昇れる傍流を作って遂に成功したという話。話の滝が「銚子大滝」だと分った、この滝なら龍になる鯉でも昇れまい、何せ普通の滝と構造が違う。傍流も滝の横にそのままあった。この話、妻の支えがあったればこそという筋立てが隠し味だったような気がするなぁ、妻の名は「節子」?。10:30頃奥入瀬渓流と別れた。次に目指すは…下北半島先端、「恐山(おそれざん)」。八戸の北に出てそこから下北半島・太平洋岸を北上したが、この半島は能登半島級にデカイ、目標のむつ市の遠いこと。途中睡魔に襲われ続けて危険水域を突破したので名も無い神社の境内で仮睡、目覚めたら1時間経って時計は4時を大きく回っていた。恐山に着いたのはもう5時近く。恐山には驚かされた。ここは神社寺院とは範疇を異にする。まさに『霊場・恐山』。異界。「いたこ」の婆さんも自然発生する筈。僕も水子供養のお地蔵さんの前に来たとき、陽の目を見ることなく母親の胎内で9ヶ月目で亡くなった双子の娘が現れた。二人は一緒にいた、お父さんが「あの世」での務めを終えて「この世」に来るときまでいつまでも待っている、ということだった。二人にすれば「この世」は「あの世」で、我々の「あの世」こそ「この世」なのだ。お父さんはもう直ぐ行くぞぉ、そう誓った。双子の名は、坊さんの付けてくれたのが「智子」と「信子」、だが僕はずっと気に入らない。そこで30年掛かって温めた名が「雪」と「桜」。「この世」にいる三人の姉妹の名は合わすと「さと」の「あき」「なつ」、里の四季に冬と春が足りない、そこで雪と桜という訳。双子もにっこりとしてくれるのじゃないか。恐山に伽藍はないと思っていた、しかしそこには立派な伽藍があった、配置も好い、境内に硫黄温泉の「男湯」「女湯」もある。何処の宗派にも属さない、地蔵堂を本殿・本堂とする伽藍、そこには宗教発生にまで遡る宗教の原型がある、自ら称して「霊場・恐山」。本州の北端まで来たら、明日からは南に下るしかない。さて何処に行くか。先ずは青森に出る。青森には何もないから八甲田山に分け入るしかない、するとまた奥入瀬渓流に出て今度は遡上して十和田湖に入ることになる、それなら20年前家族旅行で来て快晴の日の十和田湖のブルーに出逢って目を瞠ったことがある「初荷峠」に出たい、そうなると秋田県大館市に下りる。その先は全く未定。今日は朝から快晴\(^o^)/
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