2011年7月3日日曜日
7/3(日)京都市千本今出川「大報恩寺・千本釈迦堂」
大報恩寺の境内はその昔千本通りに面していたので千本釈迦堂と呼ばれたらしい。が、今は縮小して門を探すのに苦労する。吾輩は小路を入ったり出たり右往左往した。
境内に「北野経王堂願成就寺」がある↓。室町時代には三十三間堂の一倍半もある巨大な御堂だったそう。その中に多くの仏像が安置されていた。が、時代と共に縮小の一途を辿り今は小さなお堂と化した。中にあった仏像群は大報恩寺に移され、今は霊宝館に安置されている。
7/2(土)鞍馬寺「霊宝館」の毘沙門天像・吉祥天像・聖観音像
2011年7月2日土曜日
7/2(土)鞍馬山下山。鞍馬の火祭「由岐神社」
本堂前に戻って来た。中央に見える板石は、本堂後方から発掘された。平安時代から鞍馬寺で伝えられてきた如法写経会の経巻を埋納した経塚の蓋石。板石の下から発掘された経塚遺物二百余点は悉く国宝に指定された。
山門
「由岐神社」本殿。有名な鞍馬の火祭りはこの神社の祭礼。
本殿境内から見下ろす。拝殿、摂社の数々、大杉などが眼下にある。
拝殿・重文
拝殿
拝殿中央
手水舎、鳥居から拝殿を見る
夕方、琵琶湖大橋西詰の道の駅「米(こめ)プラザ」に到着。道中、鞍馬街道を北上し美山街道国道477号線に入って東進したらこの道が国道とは信じられない悪路だった。その悪路を辿った山中深くに百井(ももい)という小さな隠れ里があった。そこに昔から部落があることが不思議。落人部落か。
明日は降らずか。
7/2(土)念願の鞍馬寺「奥の院」へ。国宝・重文「毘沙門天立像」と面会
名神高速で眠くなり昼寝をしたので、鞍馬寺到着は午後も遅め。二時半過ぎだったか。さらに登りケーブルカーが混んでいて待ち時間が長かったので、奥の院・霊宝館の閉館時刻午後四時が気掛かり。
ケーブルカーを降りると、新しい多宝塔がある。
本堂真下の石段と転法院
本堂
本堂に向かって左手の「光明心殿」。この建物の左手に「奥の院」への入口が開けている。
奥の院へ
「霊宝館」は近い。この建物の三階に毘沙門天立像・国宝・重文が立っておられる。拝観料200円は安い。
三階奉安室の正面に毘沙門天立像が四体並んでおわす。展示されているのでなく祀られている。
向かって右端の一体が重文。平安後期の作
入室して右側に厨子を背後に国宝・毘沙門天立像と脇侍の吉祥天立像(右)・善弐童子立像(いずれも国宝)がおわす。右はじにおわすのは「聖観音立像」・重文。その柳腰のフォルムが絶妙に美しい。
聖観音立像・重文
堂々たる体躯で辺りを睥睨する国宝・毘沙門天立像。平安後期作。脇侍は向かって右が吉祥天像・国宝、左が善弐童子・国宝。
奥の院・山門
義経公「背比べ石」
「大杉権現」への道
大杉権現堂。御神体の大杉は枯れている。
僧正ヶ谷・不動堂
不動堂の向かいの義経堂
奥の院・魔王殿ヘの道
奥の院・魔王殿の拝殿
本殿
2011年7月1日金曜日
7/1(金)司馬遼太郎、梅原猛、養老孟司そして井上靖
一年の半分を経過した。そして週末がまた来る。月日の経つのの早いこと。吾輩の余命は風前の灯。誰から何を言われようと好きな道を行くしかない。死んだらThe end。吾輩が愛読してきた現役作家は三人。司馬遼太郎、梅原猛、養老孟司。順番は愛読し出した順番。井上靖はその死直後の特集TV番組を見て「氷壁」を買ってきて読んで嵌った。これら四人の作品は手に入るものは全部集めて読んできた。司馬遼太郎が突如死亡したときは国家的資産の生産がストップしたような気がして残念だった。司馬遼太郎は、体温のなかった日本史に30度位の熱を与えた。あと6度5分の熱をup させられる作家が果たして登場するかどうか。梅原猛は日本史に屹立する大天才・巨星・大魔神・大善人。南方熊楠さえも眼下でくすんで見える。柳田國男と折口信夫を足しても追いつけない。今84歳だが、親鸞と世阿弥に関する天才・善人・魔人にしか見えない秘密を看破しそれを解き明かす大作を書こうとしている。それらを書き残す余力を天が奪おうものなら怨霊となってこの世に現れてでも書き残すであろう弩迫力。養老孟司は空前絶後の読書量と頭の回転の速さによって生み出される思索集が独創的で文句なしに面白い。その読書は英語本にまで及んでいるから凄い。ただ最近高齢化して短気になり、文章も短気化してついて行きにくくなったのが難。井上靖の作品はすべて善なる日本人魂の極致。高尚。
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