2012年10月5日金曜日
〇日本仏教は釈迦の教えと全然違う(五)
親鸞は、阿弥陀経典に書いてある弥陀の本願を信じた。阿弥陀如来は衆生救済の悲願・本願を立てられた。救済はこの弥陀の本願におすがりするしかない。彼岸・浄土には阿弥陀如来しかいない。この阿弥陀如来の衆生救済の本願にすがり頼るしか浄土に往生する途はない。自力救済はない。他力本願(弥陀の本願にすがって救済される)しかない。弥陀の本願にすがる方法は「南無阿弥陀仏」と阿弥陀如来の名号を唱えるだけでよい。阿弥陀如来を厳密な方法で心に思い描く念仏の必要はない。ここで釈迦が出家僧に課した戒律は無意味化した。修行も無意味化した。何せ「善人なおもて往生す。況や悪人においておや」の世界になったのだ。親鸞は教義に忠実に自身に肉食妻帯を許した。親鸞開祖の浄土真宗では公然と肉食妻帯が行われることになった。親鸞にすれば、釈迦の教えの阿弥陀教に従えば必然この様な結論になる・だから釈迦の教義に外れていないというのだろうが、”富永中基”の指摘するように阿弥陀経典が釈迦の教えと無関係で後世の大乗思想家達の創作だとしたら一体どうなるのか。浄土真宗は、釈迦の教えと全く無縁に鎌倉時代当時に新興した宗教となる。親鸞の著した「教行信証」を玉条・根本経典とする浄土真宗は釈迦仏教と無縁の新宗教と見れば分りがいい。織田信長は伊勢長島の一向一揆の降伏を受け容れるかの如く見せて一揆衆を一網打尽にして虐殺した。その信長の非道を人は突く。しかし信長は論理に徹した人だった。「厭離穢土・欣求浄土」「称名念仏だけで浄土往生」の教義どおりにしてやるのだから文句があるかと思っていただろう。死後にも霊魂が残る・永遠に残るなどということは、釈迦は一言も説かなかった。親鸞もそのようなことは説いていない。それでは西方浄土に往生するモノーーその実体は一体何なのか。日本で独自の展開を遂げた日本仏教には、その論理・教義体系の根本に不確定性がある。
2012年10月4日木曜日
〇週末が近づいてきた。関東遠征が頭をよぎる。
東村山市・正福寺「国宝・地蔵堂」を国宝一覧リストから見落としていて東北・関東地方国宝探訪旅行の際に探訪し損ねたのは大失態だった。大いに癪に障る。それと今年6月に熊谷市・妻沼歓喜天「聖天堂」が国宝に新指定されたのを知ったのは実に楽しい。この二つの国宝はその探訪の旅に出るだけの値打ちがある。善は急げ、この週末、関東に向けて走り出すかも‥f^_^;
〇山本周五郎「さぶ」を読んで。
山本周五郎の晩年の作品「さぶ」を読了した。さぶが主人公かと思ったが、読んでみると主人公は栄二という表具職人。それにおのぶ・おすえという女性が配される。周五郎の人物眼・構想力・筆力の抜群さが如実。山本が世に出た当時、純文学・私小説が幅を利かせ周五郎的小説に大衆文学のレッテルを貼って下に見ていた。山本周五郎の小説の上を行く純文学小説にどんなものがあったのか。純文学・私小説というジャンルが幅を利かせていた時代は今から思えば実に愚かな・文化水準の低い時代だった。山本周五郎は直木賞を辞退したそうだが、本物の文学者の反骨・皮肉精神の表れで痛快。さすが山本周五郎\(^o^)/
2012年10月3日水曜日
〇日本仏教は釈迦の教えと全然違う(四)
奈良時代は南都七大寺・大乗仏教の全盛期だった。桓武天皇は南都の大寺の権勢から自由になるため長岡京、次いで平安京に遷都した。平安時代は、比叡山延暦寺と高野山金剛峰寺が仏教界の覇権を制した。密教の時代と言っていい。護摩を焚き加持祈祷に励んだ。護摩・加持祈祷の本山は空海の開いた高野山だったが、比叡山も最澄の弟子たちが密教を中国に学んで導入し天台密教を大成した。比叡山はさながら仏教総合大学の趣を呈した。中心教学は法華経学であり・悉皆有仏性を旨としたが、浄土教学を研究する者あり、禅宗学を専修する者ありと実に多彩だった。真言密教・高野山は真言・秘儀を修得して即身成仏することを旨とした。平安中期からは浄土教も隆盛となった。仏教は平安時代末期まで国家・貴族のための宗教だった。それが、有力武装農民・武士が天下を握り鎌倉時代に入ると仏教界に革命が起きた。仏教は庶民にも普及した。比叡山を下りた学究僧達が現代にまで系譜を引く有力な宗派をそれぞれに開き庶民を導いた。以下の開祖はいずれも比叡山で学究修行を積んだ高僧である。
①法然・親鸞―浄土教・浄土真宗。②栄西・道元―禅宗(臨済宗・曹洞宗)。③日蓮ー法華宗(日蓮宗)。
北陸地方は何と言っても真宗王国・浄土教。そこで法然上人の話から。「上人・聖人(しょうにん)」という称号は、正式に受戒していない私度僧(勝手に僧になっている人)の中で高徳・徳望の篤い僧をそう呼ぶ。法然は普通「上人」と呼称されるが本当は比叡山で若いうちに正式に受戒し国家公認の正式僧だった。が、浄土教に嵌り衆生救済を悲願として山を下りるときその地位を捨てた。それで以後法然上人と呼ばれるようになった。浄土教は阿弥陀三部経を根本経典とする。他の経典は殆ど無視する。如来は彼岸の阿弥陀仏のみ。阿弥陀如来の衆生救済の悲願におすがりする一神教。如来の使者として此岸で観音菩薩・勢至菩薩が活躍する。阿弥陀如来の慈悲にすがる方法は「南無阿弥陀仏」と称えるだけ。称名だけで阿弥陀如来が観音・勢至両菩薩をこの世に派遣して下さる。この点、日蓮宗も「南無妙法蓮華経」とお題目を称えるだけで法華経に約束された救済を受けられるというのと似ている。とかく鎌倉仏教は安直さが売り。庶民でも仏教世界に簡単に入れるようにした。しかし阿弥陀経に説いている「念仏」とは本来は仏を心に念(おも)うことで、比叡山・三昧堂では阿弥陀経・浄土教の念仏の仕方を研究し修行してきた。三昧堂での念仏修行は半端じゃない。この堂の隣で坊を構え浄土教・阿弥陀経を研究したのが親鸞上人。彼は、法然の浄土教を教義的・理論的に徹底し遂に行き着く所まで行った。続く
①法然・親鸞―浄土教・浄土真宗。②栄西・道元―禅宗(臨済宗・曹洞宗)。③日蓮ー法華宗(日蓮宗)。
北陸地方は何と言っても真宗王国・浄土教。そこで法然上人の話から。「上人・聖人(しょうにん)」という称号は、正式に受戒していない私度僧(勝手に僧になっている人)の中で高徳・徳望の篤い僧をそう呼ぶ。法然は普通「上人」と呼称されるが本当は比叡山で若いうちに正式に受戒し国家公認の正式僧だった。が、浄土教に嵌り衆生救済を悲願として山を下りるときその地位を捨てた。それで以後法然上人と呼ばれるようになった。浄土教は阿弥陀三部経を根本経典とする。他の経典は殆ど無視する。如来は彼岸の阿弥陀仏のみ。阿弥陀如来の衆生救済の悲願におすがりする一神教。如来の使者として此岸で観音菩薩・勢至菩薩が活躍する。阿弥陀如来の慈悲にすがる方法は「南無阿弥陀仏」と称えるだけ。称名だけで阿弥陀如来が観音・勢至両菩薩をこの世に派遣して下さる。この点、日蓮宗も「南無妙法蓮華経」とお題目を称えるだけで法華経に約束された救済を受けられるというのと似ている。とかく鎌倉仏教は安直さが売り。庶民でも仏教世界に簡単に入れるようにした。しかし阿弥陀経に説いている「念仏」とは本来は仏を心に念(おも)うことで、比叡山・三昧堂では阿弥陀経・浄土教の念仏の仕方を研究し修行してきた。三昧堂での念仏修行は半端じゃない。この堂の隣で坊を構え浄土教・阿弥陀経を研究したのが親鸞上人。彼は、法然の浄土教を教義的・理論的に徹底し遂に行き着く所まで行った。続く
日本仏教は釈迦の教えと全然違う(三)
昨日、埼玉県熊谷市の妻沼(めぬま)歓喜天(かんぎてん)「聖天堂(しょうてんどう)」が今年国宝に指定されたことを書いた。妻沼歓喜天は真言宗高野山派の末寺。密教寺院。結構な話の糸口ができたので密教についてボクの知見を記そう。
ボクは仏教と謂われている宗教に大きく分けて三種類あるとみている。①釈迦仏教。②大乗仏教。③密教。
①釈迦仏教はそこで発祥しそこで一時隆盛した北インドでは比較的早くに完全消滅した。取って代わったのは龍樹が大成した大乗仏教。それも、西からイスラム教の圧迫を受け、南から新興の土俗宗教・ヒンドゥー教に蚕食されて衰退消滅の道を歩んだ。玄奘三蔵法師が仏典を求めて北インドに到達した頃は既に大乗仏教は衰退し、③の密教が、南インドを基盤としたドラヴィダ族土俗の宗教から発展したヒンドゥー教に妥協しヒンドゥー教の神々・守護神・利益神を教義に取り入れ、宇宙の真理と一体となる鍵である呪文(真言)と秘儀を取り入れて生き残りを図った。しかしそれは墓穴を掘るのと同じことで遂にヒンドゥー教・ジャイナ教などインド土俗の宗教に吸収されて消滅した。
しかし釈迦仏教は上座部仏教としてスリランカを経由してミャンマー・タイ・ラオス・カンボジアなど東南アジア地域で生き残った。この東南アジアに流布された仏教のことを「小乗仏教」と日本では呼ぶが、この呼称は大乗仏教側からそこでの仏教を軽侮するために名付けたもので、慈悲心を持つ者なら使うべからざる言葉。東南アジアの仏教は釈迦の教えによっぽど近い。
釈迦教団が分裂した時、上座部と大衆部に別れた。大衆部から大乗仏教が生み出され、それが北インドを一時席巻し、そしてヒンドゥー教・ジャイナ教に吸収され消滅したことは前述。しかし大乗仏教は北インドで消滅する前既に北上を開始しさらに西域に入って東進し続けていた。遂には中国に入りさらに朝鮮を経由して日本にまで到達した。聖徳太子の摂政時代のこと。中国では大乗仏教は宋の時代には衰退し土俗宗教・道教に殆ど吸収された。今も大乗仏教が堂々と生き残っているのは日本くらいしかない。
その日本では、平安時代前期になると従前飛鳥・奈良時代に舶来した大乗仏教に飽き足らず、密教の招来が待望されるようになった。密教とは語義的には「秘密の宗教」という意味。護摩を焚き加持祈祷をするスタイルが従前の仏教と全然違っていた。呪文(真言)を称えて宇宙の神秘の力と同化し厄を除け利益を齎す。呪詛により人を殺す力さえ有する。空海・弘法大師がこの密教の体系を一式、中国から持ち帰った。以後密教が日本仏教の本流となって、鎌倉仏教が革命的に登場するまで続く。ところが密教が日本仏教界の覇権を握った頃、本場インドでは密教はヒンドゥー教・ジャイナ教などインド土俗の宗教に吸収される過程に入っていた。しかもそもそも密教がインドに発生した縁由は、新興のヒンドゥー教・ジャイナ教などインド土俗の宗教の発展圧力に大乗仏教側が抗し切れずにそれらと妥協を図って生き延びようとしたことにある。宇宙の真理・呪文(真言)・秘儀・諸々の天部の神々・明王達、これらはその淵源を南インド・ドラヴィダ族の土俗宗教・ヒンドゥー教の中に見い出せる。現代から見ると、密教は時代錯誤的に尊重されて日本に齎されたというしかないのでは。
密教が生き残ったルートがある。それはチベット大高原。独特の教義となりラマ教として現代も信仰されている。ラマ教はチベット高原からモンゴル平原に広がって現代に至っている。
ここで、埼玉県熊谷市の妻沼(めぬま)歓喜天(かんぎてん)「聖天堂(しょうてんどう)」に話題を戻す。「歓喜天」は密教にしか登場しない。まさにヒンドゥー教の神の一つ。歓喜はsex的歓喜を意味する。インド土着の思想には、sex的歓喜は宇宙の真理に通じるという観念がある。ヒンドゥー教の神々の中に象徴的性描写像と見られるモノが数々ある。歓喜天はその系統の天部の神。日本人には馴染みにくいんじゃないかなぁ。
日本仏教は鎌倉時代に入った途端に飛躍し変革される。まさに世界にまたとない日本仏教が成立する。次には多分話が鎌倉仏教に跳ぶ。アッ触れ損なったが、禅宗はボクの観方では①釈迦仏教によっぽど近い。実際禅宗寺院の多くの本尊は釈迦如来。
ボクは仏教と謂われている宗教に大きく分けて三種類あるとみている。①釈迦仏教。②大乗仏教。③密教。
①釈迦仏教はそこで発祥しそこで一時隆盛した北インドでは比較的早くに完全消滅した。取って代わったのは龍樹が大成した大乗仏教。それも、西からイスラム教の圧迫を受け、南から新興の土俗宗教・ヒンドゥー教に蚕食されて衰退消滅の道を歩んだ。玄奘三蔵法師が仏典を求めて北インドに到達した頃は既に大乗仏教は衰退し、③の密教が、南インドを基盤としたドラヴィダ族土俗の宗教から発展したヒンドゥー教に妥協しヒンドゥー教の神々・守護神・利益神を教義に取り入れ、宇宙の真理と一体となる鍵である呪文(真言)と秘儀を取り入れて生き残りを図った。しかしそれは墓穴を掘るのと同じことで遂にヒンドゥー教・ジャイナ教などインド土俗の宗教に吸収されて消滅した。
しかし釈迦仏教は上座部仏教としてスリランカを経由してミャンマー・タイ・ラオス・カンボジアなど東南アジア地域で生き残った。この東南アジアに流布された仏教のことを「小乗仏教」と日本では呼ぶが、この呼称は大乗仏教側からそこでの仏教を軽侮するために名付けたもので、慈悲心を持つ者なら使うべからざる言葉。東南アジアの仏教は釈迦の教えによっぽど近い。
釈迦教団が分裂した時、上座部と大衆部に別れた。大衆部から大乗仏教が生み出され、それが北インドを一時席巻し、そしてヒンドゥー教・ジャイナ教に吸収され消滅したことは前述。しかし大乗仏教は北インドで消滅する前既に北上を開始しさらに西域に入って東進し続けていた。遂には中国に入りさらに朝鮮を経由して日本にまで到達した。聖徳太子の摂政時代のこと。中国では大乗仏教は宋の時代には衰退し土俗宗教・道教に殆ど吸収された。今も大乗仏教が堂々と生き残っているのは日本くらいしかない。
その日本では、平安時代前期になると従前飛鳥・奈良時代に舶来した大乗仏教に飽き足らず、密教の招来が待望されるようになった。密教とは語義的には「秘密の宗教」という意味。護摩を焚き加持祈祷をするスタイルが従前の仏教と全然違っていた。呪文(真言)を称えて宇宙の神秘の力と同化し厄を除け利益を齎す。呪詛により人を殺す力さえ有する。空海・弘法大師がこの密教の体系を一式、中国から持ち帰った。以後密教が日本仏教の本流となって、鎌倉仏教が革命的に登場するまで続く。ところが密教が日本仏教界の覇権を握った頃、本場インドでは密教はヒンドゥー教・ジャイナ教などインド土俗の宗教に吸収される過程に入っていた。しかもそもそも密教がインドに発生した縁由は、新興のヒンドゥー教・ジャイナ教などインド土俗の宗教の発展圧力に大乗仏教側が抗し切れずにそれらと妥協を図って生き延びようとしたことにある。宇宙の真理・呪文(真言)・秘儀・諸々の天部の神々・明王達、これらはその淵源を南インド・ドラヴィダ族の土俗宗教・ヒンドゥー教の中に見い出せる。現代から見ると、密教は時代錯誤的に尊重されて日本に齎されたというしかないのでは。
密教が生き残ったルートがある。それはチベット大高原。独特の教義となりラマ教として現代も信仰されている。ラマ教はチベット高原からモンゴル平原に広がって現代に至っている。
ここで、埼玉県熊谷市の妻沼(めぬま)歓喜天(かんぎてん)「聖天堂(しょうてんどう)」に話題を戻す。「歓喜天」は密教にしか登場しない。まさにヒンドゥー教の神の一つ。歓喜はsex的歓喜を意味する。インド土着の思想には、sex的歓喜は宇宙の真理に通じるという観念がある。ヒンドゥー教の神々の中に象徴的性描写像と見られるモノが数々ある。歓喜天はその系統の天部の神。日本人には馴染みにくいんじゃないかなぁ。
日本仏教は鎌倉時代に入った途端に飛躍し変革される。まさに世界にまたとない日本仏教が成立する。次には多分話が鎌倉仏教に跳ぶ。アッ触れ損なったが、禅宗はボクの観方では①釈迦仏教によっぽど近い。実際禅宗寺院の多くの本尊は釈迦如来。
2012年10月1日月曜日
〇国宝建造物all探訪の旅を終えたと思っていたら‥
なんと東京都東村山市の正福寺(しょうぶくじ)「地蔵堂」をリストから見落として探訪の旅で抜かしていた。この地蔵堂は鎌倉の円覚寺・国宝舎利殿とそっくりらしい。それと最近ニュースで知ったんだが、埼玉県熊谷市の妻沼(めぬま)歓喜天(かんぎてん)「聖天堂(しょうてんどう)」が平成24年に国宝指定された。この堂は日光東照宮ばりの装飾建造物らしい。江戸中期の再建。最近修復を終えて鮮やかによみがったそう。この二つ、どうしても探訪せねばならぬ(`´)。
それと今年岡山県の「閑谷学校・講堂」の傍を通ったのに、これが国宝とは知らずに素通りした。神社・寺院の項目ばかりに目が行ってしまってこの講堂が別項目の国宝リストに載っているのを見落とした。実に癪に障る。自分に対して腹が立つ。こちらもいつか必ず探訪して憂さを晴らそう。
それと今年岡山県の「閑谷学校・講堂」の傍を通ったのに、これが国宝とは知らずに素通りした。神社・寺院の項目ばかりに目が行ってしまってこの講堂が別項目の国宝リストに載っているのを見落とした。実に癪に障る。自分に対して腹が立つ。こちらもいつか必ず探訪して憂さを晴らそう。
◇大阪市長「橋下徹」という男
この男は只者じゃあない。この男を構成する要素を分析列挙すると、
①行動力・決断力。これは天賦のモノ。
②集中力。これも天賦。
③闘争心。これは先天・後天性ごちゃ混ぜ。
④不屈・執拗な粘り腰。これも先天・後天性ごちゃ混ぜ。
⑤歪んだモノを是正せずにおかない正義感。これは母親の影響。
⑥論理明晰な頭脳。これは天賦。
⑦情報収集・学習能力。これはIT時代の最先端を行く先見性にある。これらの能力は彼の場合、後天的なモノ。彼はパソコンであらゆる情報を収集し課題を整理し学習している。この能力を極度化して身に着けたことが、彼の最強の武器。
⑧主張力・発信力。後天的。⑦&⑧はパソコンに通暁したことの賜物。
⑨言語明瞭・意味明解。後天的なモノ。
⑩open・陽気性。先天・後天性ごちゃ混ぜ。
⑪賢妻に恵まれ、子宝7人に恵まれている。こんな家庭を形成・維持していることがこの男が全うに理解されるのに文句なしの説得力を持つ。彼の最強の防禦力。
⑫人脈形成力。以上の諸要素の集積結果。
〇幕末維新経過後・現代まで、日本では生まれ出なかった新しいタイプの男であることは確か。英傑と言ってよい。
①行動力・決断力。これは天賦のモノ。
②集中力。これも天賦。
③闘争心。これは先天・後天性ごちゃ混ぜ。
④不屈・執拗な粘り腰。これも先天・後天性ごちゃ混ぜ。
⑤歪んだモノを是正せずにおかない正義感。これは母親の影響。
⑥論理明晰な頭脳。これは天賦。
⑦情報収集・学習能力。これはIT時代の最先端を行く先見性にある。これらの能力は彼の場合、後天的なモノ。彼はパソコンであらゆる情報を収集し課題を整理し学習している。この能力を極度化して身に着けたことが、彼の最強の武器。
⑧主張力・発信力。後天的。⑦&⑧はパソコンに通暁したことの賜物。
⑨言語明瞭・意味明解。後天的なモノ。
⑩open・陽気性。先天・後天性ごちゃ混ぜ。
⑪賢妻に恵まれ、子宝7人に恵まれている。こんな家庭を形成・維持していることがこの男が全うに理解されるのに文句なしの説得力を持つ。彼の最強の防禦力。
⑫人脈形成力。以上の諸要素の集積結果。
〇幕末維新経過後・現代まで、日本では生まれ出なかった新しいタイプの男であることは確か。英傑と言ってよい。
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