〇六波羅から京都御苑に向かって歩き出した。距離はかなりある。
↓四条大橋たもとの「京都南座」。歌舞伎場。
↓祇園・八坂神社神門が見える。
↓三条大橋の上から下流を見る。
↓以下、寺町通りに入る。まず観光案内版を発見。
寺町通りの名の由来は、秀吉が洛中の寺院をこの通りに集めたことにある。その一寺院・寂光寺の塔頭寺院「本因坊」に住持していた僧侶・日海は信長・秀吉時代から囲碁の名手として知られた。家康が江戸に幕府を開くと、日海は「碁所(ごどころ)」に任ぜられ江戸に邸を与えられた。日海は塔頭寺院を他に譲り、名を「本因坊・算砂」と改めた。以後、春に江戸に出仕し、年末に寺町・本因坊に戻る生活を続けた。
〇「本能寺」発見。「本能寺の変」当時の本能寺は四条油小路に所在した。壕・土塀を廻らし七堂伽藍を備えた大寺院、観方を変えれば一大城郭だった。それが今どこに所在するのか、ボクは探していたんだが、そうかこんなところにあったのか。
法華宗である。
本堂
これが方丈。
これが講堂。
↓「信長公廟」
信長公廟の向かって左側に「本能寺変戦没者合祀墓」がある。信長に殉じて戦死した110名ほどの従臣の名が墨書されている。森蘭丸兄弟の名もある。
〇「革堂(こうどう)・行願寺」。西国33箇所観音札所霊場・第19番札所。革堂の名の由来は、開基上人が革衣を身にまとって布教に歩いたかららしい。
本堂・前立千手観音菩薩像。本尊は秘仏。
〇「下御霊神社」
〇足が重くなった頃、丸田町通りに面した「京都御苑」に着いた。この御苑の北側隅に「京都御所」がある。
2012年11月6日火曜日
2012年11月5日月曜日
〇京都市・六波羅蜜寺→「国宝・十一面観音立像」十二年に一度辰年御開帳へ。
「国宝・十一面観音立像」、十二年に一度・辰年の十一月のみ御開帳の秘仏に会うためにとうとうやって来た。国宝十一面観音立像七体のうち、まだ現物を拝観していないのは六波羅蜜寺の秘仏だけ。それもとうとう会える。
境内は人がごちゃごちゃしている。本堂内は密集していて本尊・観音像になかなか近づけない。
内陣は天幕や装飾具で視野が遮られ近づかないとなかなか御本尊を見れない。二、三歩にじり寄ったら観音像の額から下が見えた。頭部には比較的金箔が残っていた。目は優しかった。この秘仏、絵葉書はないし、写真本にも掲載されていない。↓「高月町営歴史資料館」の壁新聞に貼り出されていた写真。
↓「月照院の見仏」より引用。
〇とにかくこれでボクは国宝十一面観音像七体を全部この目で見たのだ。
境内は人がごちゃごちゃしている。本堂内は密集していて本尊・観音像になかなか近づけない。
内陣は天幕や装飾具で視野が遮られ近づかないとなかなか御本尊を見れない。二、三歩にじり寄ったら観音像の額から下が見えた。頭部には比較的金箔が残っていた。目は優しかった。この秘仏、絵葉書はないし、写真本にも掲載されていない。↓「高月町営歴史資料館」の壁新聞に貼り出されていた写真。
↓「月照院の見仏」より引用。
〇とにかくこれでボクは国宝十一面観音像七体を全部この目で見たのだ。
〇11/4(日)夢殿で「救世観音」に会った。朝日に輝く法起寺「国宝・三重塔」に感動した。法輪寺を探訪。京都嵯峨野に転進し清涼寺・霊宝館で「国宝・阿弥陀如来・観音勢至両菩薩の三尊坐像」に会った
朝七時「木津みどりの一里塚」出発。直ぐに奈良市街地に入り、市街地を斜めに突っ切り大和郡山市街地へ。
斑鳩の里は近かった。岡の上から斑鳩の里に下りた途端、法起寺の「国宝・三重塔」が眼前に浮かんだ。それが、朝日を真横から受けて垂直な構造の東面が輝き北面が翳って見事なコントラストを描いてボクの目に感動を喚んだ。セレナを急停車させてボクは撮影ポイントを探索した。すると塔の前面にコスモスの花が一面に咲き乱れている畑が展開している。まるでボクを待っていたような構図だった。勿論撮った。このコスモス畑、どうやら行政に協力して種を播いたように思える。休耕して荒かすよりも花を咲かせて世界遺産の環境を美しくしましょう、そのために種は支給・助成します、その行政の思惑に農民魂が応えたという呼吸がボクには感じられた。こうして時を稼いで法隆寺の大駐車場に着いたのが八時。しかし未だ開いていなかった。仕方なく法隆寺参道の松並木を走り、右折して細い旧道に入り、法隆寺東院・夢殿、中宮寺前を通過し、法輪寺まで来てしまった。法輪寺は「国宝・三重塔」を昭和19年に落雷で焼失している。今旧態通りの姿の三重塔が再建されている。当然国宝指定は解除されている。この法輪寺の前に斑鳩町営の大駐車場があった。一日駐車しても無料。法輪寺の受付開始は九時。ボクはセレナを町営駐車場に預けて法隆寺に向かって歩き出した。東院伽藍・夢殿の門前に着いたのが八時半、丁度門は開いていた。早速入門。一直線に夢殿の石段を上がり八角建物の一角、「救世観音」の直前へ。針金格子戸の
格子から透かし見ると、祭壇を普段覆っている垂れ幕が、丁度少女の前髪が左右に分けられているように左右に分けられ幕の中ほどで小柱に結わえられている。そして少女の額の部分に夢に見た「救世観音」が立っていた。朝陽の射す角度が適しているのか「救世観音」はくっきりと見えた。本の写真で見る通りの姿・印象だった。ボクは針金格子に目をくっ付けて食い入るように「救世観音」を観察し続けた。拝観者が二、三人現れたが、直ぐに淡白に立ち去って行く。朝一番は三文の徳があった。ボクはひとしきり「救世観音」を独占できた。強く見過ぎて目の奥が痛くなったので夢殿を後にした。悔いはなかった。そのあと西院伽藍の周囲をひと回りした。伽藍の中に入ると時間を喰い過ぎるので今日は遠慮した。法輪寺まで歩いて戻ったら九時半。入門し講堂の古仏達を拝観。法隆寺金堂の国宝諸仏と全く同じ古い様式の木造仏。その全く同じ古様式という点に感銘。これら木造仏は法隆寺金堂の金銅仏達の金型だったのではないかと一瞬思ったほど。法輪寺講堂の仏像は一見の価値がある。妙見堂の秘仏・妙見菩薩も開帳されていた。妙見とは北辰・北極星のことだそう。この菩薩像は変哲がない。十時半、斑鳩から京都嵯峨野に飛んだ。霊宝館の「国宝阿弥陀三尊像」に会うため。これまで二度、霊宝館の閉館時季に訪れていた。が、今回は調査万端抜かりなくやっと三度目の正直となった。入館するといきなり入口に「国宝阿弥陀如来坐像」と脇侍の「国宝観音菩薩坐像」「国宝勢至菩薩坐像」が坐って並んでいた。重厚・荘重で圧巻。向かいには「重文文殊菩薩騎獅像」「重文普賢菩薩騎象像」が並んでいる。いきなり本命を出入口に配置する大胆な手法には驚かされる。次の大広間に入ると、釈迦十大弟子像、四天王像、毘沙門天坐像、トバツ毘沙門天立像などが居並ぶ。どの像も鑑賞に耐えるものばかり。二階の展示がまたすぐれもの。本堂・釈迦堂本尊の「国宝(清涼寺式)釈迦如来立像」の胎内物が国宝として展示されている。興味津津となる。「国宝・宋画十六羅漢図」の模写画も面白い。本物は東京・京都の国立博物館に寄託されている。ボクが最も注目したのは「(本堂)宮殿(くうでん)天井・十二天扉絵」。これは江戸時代初期に本堂が消失した時に焼け残ったものだそう。一面墨を流したように黒ずんでよく見ないと絵が見てとれない。しかしじっくり見るとすべての絵が見えている。その絵が素晴らしい。恐らく邦人の手になるものではない。格調高く最高級の絵が黒ずみの下に透けて見える。八曲の屏風のようにして立ててある。このあと清涼寺境内を巡回し、それからまたも「化野(あだしの)念仏寺」探索を試みたが、今回も失敗した。どうせ陰気臭い光景を目にするだけだろうから、この寺の探索はもう止めようかと。七尾到着、午後六時四十分。今回の無宿流浪の旅は中味が濃かった。とにかく無事に帰れて何より。
斑鳩の里は近かった。岡の上から斑鳩の里に下りた途端、法起寺の「国宝・三重塔」が眼前に浮かんだ。それが、朝日を真横から受けて垂直な構造の東面が輝き北面が翳って見事なコントラストを描いてボクの目に感動を喚んだ。セレナを急停車させてボクは撮影ポイントを探索した。すると塔の前面にコスモスの花が一面に咲き乱れている畑が展開している。まるでボクを待っていたような構図だった。勿論撮った。このコスモス畑、どうやら行政に協力して種を播いたように思える。休耕して荒かすよりも花を咲かせて世界遺産の環境を美しくしましょう、そのために種は支給・助成します、その行政の思惑に農民魂が応えたという呼吸がボクには感じられた。こうして時を稼いで法隆寺の大駐車場に着いたのが八時。しかし未だ開いていなかった。仕方なく法隆寺参道の松並木を走り、右折して細い旧道に入り、法隆寺東院・夢殿、中宮寺前を通過し、法輪寺まで来てしまった。法輪寺は「国宝・三重塔」を昭和19年に落雷で焼失している。今旧態通りの姿の三重塔が再建されている。当然国宝指定は解除されている。この法輪寺の前に斑鳩町営の大駐車場があった。一日駐車しても無料。法輪寺の受付開始は九時。ボクはセレナを町営駐車場に預けて法隆寺に向かって歩き出した。東院伽藍・夢殿の門前に着いたのが八時半、丁度門は開いていた。早速入門。一直線に夢殿の石段を上がり八角建物の一角、「救世観音」の直前へ。針金格子戸の
格子から透かし見ると、祭壇を普段覆っている垂れ幕が、丁度少女の前髪が左右に分けられているように左右に分けられ幕の中ほどで小柱に結わえられている。そして少女の額の部分に夢に見た「救世観音」が立っていた。朝陽の射す角度が適しているのか「救世観音」はくっきりと見えた。本の写真で見る通りの姿・印象だった。ボクは針金格子に目をくっ付けて食い入るように「救世観音」を観察し続けた。拝観者が二、三人現れたが、直ぐに淡白に立ち去って行く。朝一番は三文の徳があった。ボクはひとしきり「救世観音」を独占できた。強く見過ぎて目の奥が痛くなったので夢殿を後にした。悔いはなかった。そのあと西院伽藍の周囲をひと回りした。伽藍の中に入ると時間を喰い過ぎるので今日は遠慮した。法輪寺まで歩いて戻ったら九時半。入門し講堂の古仏達を拝観。法隆寺金堂の国宝諸仏と全く同じ古い様式の木造仏。その全く同じ古様式という点に感銘。これら木造仏は法隆寺金堂の金銅仏達の金型だったのではないかと一瞬思ったほど。法輪寺講堂の仏像は一見の価値がある。妙見堂の秘仏・妙見菩薩も開帳されていた。妙見とは北辰・北極星のことだそう。この菩薩像は変哲がない。十時半、斑鳩から京都嵯峨野に飛んだ。霊宝館の「国宝阿弥陀三尊像」に会うため。これまで二度、霊宝館の閉館時季に訪れていた。が、今回は調査万端抜かりなくやっと三度目の正直となった。入館するといきなり入口に「国宝阿弥陀如来坐像」と脇侍の「国宝観音菩薩坐像」「国宝勢至菩薩坐像」が坐って並んでいた。重厚・荘重で圧巻。向かいには「重文文殊菩薩騎獅像」「重文普賢菩薩騎象像」が並んでいる。いきなり本命を出入口に配置する大胆な手法には驚かされる。次の大広間に入ると、釈迦十大弟子像、四天王像、毘沙門天坐像、トバツ毘沙門天立像などが居並ぶ。どの像も鑑賞に耐えるものばかり。二階の展示がまたすぐれもの。本堂・釈迦堂本尊の「国宝(清涼寺式)釈迦如来立像」の胎内物が国宝として展示されている。興味津津となる。「国宝・宋画十六羅漢図」の模写画も面白い。本物は東京・京都の国立博物館に寄託されている。ボクが最も注目したのは「(本堂)宮殿(くうでん)天井・十二天扉絵」。これは江戸時代初期に本堂が消失した時に焼け残ったものだそう。一面墨を流したように黒ずんでよく見ないと絵が見てとれない。しかしじっくり見るとすべての絵が見えている。その絵が素晴らしい。恐らく邦人の手になるものではない。格調高く最高級の絵が黒ずみの下に透けて見える。八曲の屏風のようにして立ててある。このあと清涼寺境内を巡回し、それからまたも「化野(あだしの)念仏寺」探索を試みたが、今回も失敗した。どうせ陰気臭い光景を目にするだけだろうから、この寺の探索はもう止めようかと。七尾到着、午後六時四十分。今回の無宿流浪の旅は中味が濃かった。とにかく無事に帰れて何より。
2012年11月3日土曜日
〇11/3(土、文化の日)京都市「六波羅蜜寺」で秘仏「国宝・十一面観音立像」を拝観したようなしないような。「京都御所」はきっちり拝観。
七尾発、朝六時四十分。これでは京都市東山七条・豊国廟の駐車場に入るのは昼過ぎになる。そうなった。松原通り近くの「六波羅蜜寺」まで歩いた。秘仏「国宝・十一面館の立像」の十二年に一度・辰年の御開帳にあやかろうという善男善女が押し寄せていた。連休初日の文化の日という巡り合わせも人波に影響していた。とても観音像に近づけそうになかった。少し近づいてほぼ全貌を観ることができたところで切り上げて本堂を出た。感想。巨大と謂われていたが、それほどでもなかった。金箔は思いの外残っていた(胴体は鉛色に見えた)。顎の輪郭は四角く見えた。目は優しかった。感動は全くなかった。あの人混みでは感動しろというのが無理。六波羅から丸太町通りと今出川通りの間に位置する「京都御所」に向かって歩いた。距離は十分にあった。寺町通りを北上して行ったら思いがけない寺を見い出した。本能寺。講堂・方丈などは現代建築。本堂の裏に「信長廟」があった。本能寺の変の当時の寺はここにはなかった。戦国時代の本能寺は巨大な城郭だった。現代の本能寺にはその面影は片鱗もない。革堂(こうどう、西国33箇所観音札所霊場の一つ)も、下御霊神社も以前訪れた時と全く変わらず寺町通りにあった。「京都御所」は京都御苑全体の大きさに占める割合は意外と小さい。十数分の一ほどか。仙洞御所・大宮御所はさらに小さい。しかし入ってみると、これが想像よりもずっとずっとデカイ。紫宸殿・小御所その他全部で7、8棟の建物を観て周ったが、その立派で大きいことに感心させられた。今でも皇居たり得る。江戸城のあの濠に囲まれた防禦力はないが。ところで法隆寺・夢殿の扉が開けられているという。多分「救世観音立像」は開帳されている。それで明日は奈良市斑鳩の法隆寺・夢殿を訪ねる。連休二日目の日曜日なので観光客が夢殿に殺到するに違いない。今日の六波羅蜜寺の轍を踏まないために明朝は一番に駆けつけるつもり。それで午後7時に奈良の入口「木津休憩所・緑の一里塚」に滑り込んだ。今夜はここで泊まる。ここに泊まるのは3度目位。今インターネット接続はダイヤルアップ接続で、これでは送信容量が少量過ぎて編集が大変なので写真をブログアップするのは家に帰ってからにします。(^.^)/~~~
2012年11月2日金曜日
〇心に残る文化財(11)――奈良市「唐招提寺・金堂」の国宝仏たち。
〇南大門を潜ると真正面に金堂が見える。平成の大修理を終えた金堂は整然とした姿で建っている。
国宝・金堂。奈良時代建立。
↓ 金堂内陣が圧巻である。国宝仏像が大小9体居並んでいる。三尊は、左から千手観音立像、盧舎那仏坐像、薬師如来立像。中尊の前方左右に梵天と帝釈天。三尊の四隅に四天王像が四方を守護している。これらがすべて奈良時代制作で国宝だから、堂内の雰囲気は足を踏み込んだだけで凄味を感じさせてくれる。
三尊は右から薬師如来立像、盧舎那仏坐像、千手観音立像。このような三尊形式は他に類を見ない。
↓ 中尊・盧舎那仏坐像。
↓ 千手観音立像
↓ 薬師如来立像
↓ 梵天と帝釈天
↓ 四天王像
〇唐招提寺の仏像では、宝物館収蔵の菩薩立像たちが心に残る。いずれも欠損のある仏像だが、にもかかわらず芸術味が感じられて心に残る。多分いずれこのシリーズで特集する。
国宝・金堂。奈良時代建立。
↓ 金堂内陣が圧巻である。国宝仏像が大小9体居並んでいる。三尊は、左から千手観音立像、盧舎那仏坐像、薬師如来立像。中尊の前方左右に梵天と帝釈天。三尊の四隅に四天王像が四方を守護している。これらがすべて奈良時代制作で国宝だから、堂内の雰囲気は足を踏み込んだだけで凄味を感じさせてくれる。
三尊は右から薬師如来立像、盧舎那仏坐像、千手観音立像。このような三尊形式は他に類を見ない。
↓ 中尊・盧舎那仏坐像。
↓ 千手観音立像
↓ 薬師如来立像
↓ 梵天と帝釈天
↓ 四天王像
〇唐招提寺の仏像では、宝物館収蔵の菩薩立像たちが心に残る。いずれも欠損のある仏像だが、にもかかわらず芸術味が感じられて心に残る。多分いずれこのシリーズで特集する。
〇今週末、京都・奈良の文化財公開情報。
〇京都市「六波羅蜜寺」
”国宝・十一面観音立像”
拝観期間 11/3~12/5
★12年に一度、辰年の11月にしか開帳されない、原則として。
駐車場はない。近辺にもない。
〇「京都御所」秋季一般公開
申込手続不要・無料(普段は予約しなければ拝観できない)
期間 10/31~11/4(日)までの5日間
入門時間 午前9時から午後3時半まで
駐車場 京都御苑内にあるが、開門時までに行かないと多分不可。
〇京都市嵯峨野「清凉寺・霊宝館」
秋季10~11月特別公開
国宝・阿弥陀三尊像、本堂釈迦如来両脇侍・文殊菩薩騎獅像・普賢菩薩騎象像、釈迦十大弟 子像10体、四天王立像4体、トバツ毘沙門天立像、宋画十六羅漢図(模写)
駐車場・自家用車30台 800円(1回)
〇奈良市・法隆寺「夢殿」
”観音菩薩立像・救世観音”
拝観 10月22日~11月22日に開帳。この期間、夢殿の扉が開けてあるという意味らしい。
駐車場あり。
◇以上はいずれもどうしても拝観しないといけない。
”国宝・十一面観音立像”
拝観期間 11/3~12/5
★12年に一度、辰年の11月にしか開帳されない、原則として。
駐車場はない。近辺にもない。
〇「京都御所」秋季一般公開
申込手続不要・無料(普段は予約しなければ拝観できない)
期間 10/31~11/4(日)までの5日間
入門時間 午前9時から午後3時半まで
駐車場 京都御苑内にあるが、開門時までに行かないと多分不可。
〇京都市嵯峨野「清凉寺・霊宝館」
秋季10~11月特別公開
国宝・阿弥陀三尊像、本堂釈迦如来両脇侍・文殊菩薩騎獅像・普賢菩薩騎象像、釈迦十大弟 子像10体、四天王立像4体、トバツ毘沙門天立像、宋画十六羅漢図(模写)
駐車場・自家用車30台 800円(1回)
〇奈良市・法隆寺「夢殿」
”観音菩薩立像・救世観音”
拝観 10月22日~11月22日に開帳。この期間、夢殿の扉が開けてあるという意味らしい。
駐車場あり。
◇以上はいずれもどうしても拝観しないといけない。
2012年11月1日木曜日
〇心に残る文化財(10)――奈良県「浄瑠璃寺」・国宝九体仏の寺。
〇浄瑠璃寺ほど彼岸の存在を感じさせる寺はない。
境内に入ると真ん中に大池があり、一方の岸辺の小丘の上に此岸に建つ国宝・三重塔があり、その中に薬師如来坐像が安置されている。対岸に国宝・九体仏が安置されている国宝・本堂が建っている。こちらは阿弥陀如来のおわす彼岸という訳。
↓ 国宝・三重塔
↓ 三重塔内陣・薬師如来坐像・重文。
↓ 大池の対岸に建つ国宝・本堂。
↓ 本堂内陣中尊・阿弥陀如来坐像・国宝。
↓ 本堂内陣・九体仏・国宝。中尊を真ん中に、その左右に四体ずつ居並ぶ。本堂は、雨戸を開くとその内の障子戸を透した淡い光で九体仏が照らされるようになっている。しかも一体毎に障子戸を透す陽光が正面に当たるように柱・柱間が設計されている。つまり柱間が九つの九間堂になっている(但し中尊が大きいので中央の間取りが大きい)。淡い陽光に浮き出た九体仏に初めてお目にかかるとその荘厳さに圧倒されて思わず合掌する。
〇浄土世界にも九品(くほん)の等級があって中尊が最高、以下中尊から遠ざかるごとに品等が落ちて右端の仏は最下等に位置づけられるらしい。そう思って九体仏の面貌・姿勢をよくよく観察すると九体とも全部違っている。そして面白いことに右端の仏像が顔立ちも坐る姿勢も一番良くない。座禅ならばいつも棒で打たれている口。
↓ 吉祥天像。普段は秘仏。この吉祥天像が日本で一番美しい。重文。
↓ 国宝・四天王像
↓ 不動明王&二童子像・重文。ボクの見る限り、この彫像は日本で一番すぐれた不動明王と二童子の像である。特にコンガラ・セイタカ両童子像が素晴らしい。これが国宝でないのが不思議。多分像の由緒の証明資料が十分でない。
↓ コンガラ童子像
↓ セイタカ童子像
↓ 国宝・三重塔
↓ 三重塔内陣・薬師如来坐像・重文。
↓ 大池の対岸に建つ国宝・本堂。
↓ 本堂内陣中尊・阿弥陀如来坐像・国宝。
↓ 本堂内陣・九体仏・国宝。中尊を真ん中に、その左右に四体ずつ居並ぶ。本堂は、雨戸を開くとその内の障子戸を透した淡い光で九体仏が照らされるようになっている。しかも一体毎に障子戸を透す陽光が正面に当たるように柱・柱間が設計されている。つまり柱間が九つの九間堂になっている(但し中尊が大きいので中央の間取りが大きい)。淡い陽光に浮き出た九体仏に初めてお目にかかるとその荘厳さに圧倒されて思わず合掌する。
〇浄土世界にも九品(くほん)の等級があって中尊が最高、以下中尊から遠ざかるごとに品等が落ちて右端の仏は最下等に位置づけられるらしい。そう思って九体仏の面貌・姿勢をよくよく観察すると九体とも全部違っている。そして面白いことに右端の仏像が顔立ちも坐る姿勢も一番良くない。座禅ならばいつも棒で打たれている口。
↓ 吉祥天像。普段は秘仏。この吉祥天像が日本で一番美しい。重文。
↓ 国宝・四天王像
↓ 不動明王&二童子像・重文。ボクの見る限り、この彫像は日本で一番すぐれた不動明王と二童子の像である。特にコンガラ・セイタカ両童子像が素晴らしい。これが国宝でないのが不思議。多分像の由緒の証明資料が十分でない。
↓ コンガラ童子像
↓ セイタカ童子像
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