2017年11月6日月曜日

〇11-3(文化の日・金)奈良県生駒市「円福寺」重文本堂・宝篋印塔2基

〇一車線ギリギリの隘路を曲折しながらこの先行き止まりの案内を無視して行き止まり地点に来たら、そこが探訪先の「円福寺」だった。直前に探訪した円証寺で門と塀にシャットアウトされた矢先だったので、門も塀もないここ円福寺が嬉しかった。時刻はもう4時半頃だったので門があれば閉ざされていても仕方がない。


 〇重文・本堂。応安3年(1371)の墨銘がある。鎌倉時代。この華奢な本堂がよくぞ現代まで護持されてきたもの。


 ↓手前の石塔が重文宝篋印塔
 ↓左本堂、右宝篋印塔

 〇重文・宝篋印塔2基。北塔に永仁元年(1293)と刻されている。



 ↓北塔。梵字が四面に彫られている
 ↓南塔。仏像が四面に彫られている。
 ↓生駒山の南端が望まれる。夕暮れが近い。

2017年11月5日日曜日

〇11-5(日)晴。大阪府富田林市「龍泉寺」河内長野市「観心寺)「金剛寺」

朝8時、道の駅「二上パーク當麻」出発。
〇8時半、富田林市「龍泉寺」到着。重文・仁王門拝観
〇河内長野市「観心寺」に立ち寄る。三度目かな。楠正成公の首塚がある。後村上天皇の陵がある。国宝本尊・妖艶「如意輪観音菩薩坐像」はじめ無数の重文仏像がある。国宝本堂をはじめ幾つもの重文建造物がある。重文仏像の多くは霊宝館で拝観できる。
〇同市「金剛寺」。南朝・北朝それぞれの行在所があるという大それた寺院。規模も桁外れ。前回探訪した時は、本堂が10年がかりの解体修復工事中で残念だったので、もうそろそろ本堂の姿を拝観できる頃合いとみて再訪した。本堂はその全容を見せてくれていた。
〇正午前、帰路に就いた。三連休で天気も良かったので大渋滞を想定していたが、拍子抜けするほどスイスイと走って戻って来た。上下線とも空いていたのが不思議。午後5時前帰着。

2017年11月4日土曜日

〇11-4(土)晴時々曇り。生駒地方を駆け巡り重文5箇所、午後遅く斑鳩に出て重文3箇所探訪し、道の駅「二上バーク當麻」に着いた。

〇朝9時、道の駅「大和路へぐり」出発。
〇生駒地方での探訪地
a長福寺・本堂 発見至難
b宝幢寺・本堂 同上
c宝山寺・獅子閣 この宝山寺拝観に一時間以上を要した。巨大な山岳寺院。大鳥居に「歓喜天」の掲額。密教でも釈迦仏教とは無縁の方だろう。
d円証寺 昨日に続いて訪れてみた。境内整備事業のため公開を停止している旨の案内が出ていたが、丁度顔を出した奥さんと話すと元々予約が無いと拝観できないそう。ボクと無縁の寺と分ってスッキリした。
e八幡神社・本殿 生駒郡三郷(さんごう)町に在る。発見超至難。
〇斑鳩、大和郡山地方での探訪地
fイザナミノミコト神社・本殿。斑鳩町所在。重文がよく見えなかった。
g小泉神社・本殿 大和郡山市小泉に在る。
h矢田坐久志玉比古(やたにいますくしたまひこ)神社・本殿、末社本殿。
〇午後6時、二上山の麓、當麻寺(たいまじ)の近くの「道の駅・二上パーク當麻」に到着。明朝、大阪府下で唯一未探訪の重文がある寺院=富田林市の龍泉寺を探訪するためここにハリアーを停めた。同寺の仁王門が重文。この寺を探訪すると、大阪府も国宝重文虱潰し探訪の旅が完結する。この道の駅に泊まるのは二度目か。

2017年11月3日金曜日

〇11-3(金・文化の日)奈良県生駒市に居る

〇快晴の一日。午前9時40分、七尾発。奈良県生駒市を目指した。ここに未探訪の重文建造物が5,6箇所ある。第二京阪を枚方東で下りるところを間違えて次の交野(かたの)北で下りたので大騒動。生駒山を越えるルートに嵌ってしまった。登り道(大阪側)の半分以上は一車線ギリギリ。初心者はすくんで動けない。奈良側に下ると二車線。
〇午後3時40分、生駒市にある「円証寺」を訪ねた。本堂と五輪塔が重文。ところがこの時刻で閉門。残念。明朝再訪しようと思うが、果たして公開しているのかどうか疑問。近くに、国宝本堂を有する長弓寺(ちょうきゅうじ)の入口を見た。寺なのに鳥居が立っている。明朝、三度目となるが長弓寺の国宝本堂を訪問してみるかな。円証寺でまた滑っても、そちらに向かっただけの成果は得られる。
〇午後4時35分、生駒山に近い岡の上の「円福寺」に着いた。本堂と宝篋印塔2基が重文。いずれも鎌倉時代の建立。ここは期待通り、門も塀もないので石段を昇って境内に入れた。小寺。よくぞ鎌倉時代から本堂と石塔を護持してきたのものよと感心させられる。堪能して撮影。
〇午後5時40分、道の駅「大和路へぐり」に入る。ここでコンビニで仕入れた夕食を摂り、Uチューブを見ながら寝る。明日は生駒地方を駆け回ることから始める。

2017年11月2日木曜日

〇2014-8-13(水)福島県白河市「白河の関」

〇「白河の関」に着いた。市街地から遠い。


「白河関は、古くよりみちのくの関門として歴史にその名を刻み、また文学の世界では歌枕として数多くの古歌に詠まれた場所である。関の位置については久しく不明であったが、江戸時代後期、時の白河藩主松平定信の考証により、この地が白河関跡であると断定され、寛政12年(1800)に「古関蹟」の碑が建てられ、今日に至っている。‥‥」
 正面真っ直ぐに進むと「白河神社」に至る。


 白河神社拝殿


 本殿
 〇古歌碑。「白河の関」は有名な歌枕であることがこれらの古歌で知れる。中でも能因法師の「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」は名歌として有名。能因法師はこの歌を都の我家で詠んだらしい。ところが歌が余りに有名になり過ぎて、陸奥往復に要する月日が経たないうちは外出もままならず、蟄居しながら庭でわざわざ日焼けさせて程よい頃に外に出たという話がある。
 空堀跡。白河の関は空堀と堀から掻き揚げた土塁で囲まれていた。

 土塁跡
 関所内



 土塁の上



 「奥の細道白川の関」碑。芭蕉の「奥の細道」白河の関の段章が書かれている。



 「旗立の桜」。源義経が平家追討のため鎌倉に上るときここで旗揃えをし、桜に旗を立て掛けたという伝承があるが、その時の桜は今は枯れてしまっている。
 源義家が安倍貞任討伐のためこの地に来た時(前九年の役)、ここの楓に幌を掛けて休息したという伝承があるが、その楓も代が代わっている。
 「古関蹟の碑」。白河藩主松平定信が精緻な研究の結果、寛政12年(1800)この地が白河の関跡であると断定し建立した碑。白河の関跡地が何処であるかについては説が分れていた(今も異説がある)。
 社務所
 社務所前の芭蕉句碑。「関守の宿を水鶏(くいな)に問はふもの 芭蕉」

2017年11月1日水曜日

〇2012-3-20(春分の日・火)奈良県御所(ごせ)市「日本武尊琴弾白鳥陵」

 在所の細い道を行く





 〇「日本武尊琴引原白鳥陵」
 ↓陵の周囲を一周

 ↓陵から在所を一望
 ↓在所から陵を見る
 〇ここは御所市。右の山が葛城山、左の山が金剛山
〇伊吹山でそこの神(巨大な猪らしい)との闘いで瀕死の重傷を負った日本武尊は伊勢の国まで辿り着いたが、そこで足が三重に折れ曲がる程疲れ切り、そこから白鳥になって舞い上がった。そして大和の国の琴引原に舞い降りて休息した後、和泉の国に向って飛び立ち、泉州・堺の地に下り立ってそこで命果てた。堺の大鳥神社がその地だという。