2018年11月25日日曜日

〇18-11-23(金・新嘗祭)紅葉探訪の旅に出た。先ずは湖東「金剛輪寺」

冷たい小雨が降っていた。↓山門前の紅葉は好調
 ↓山門を潜った参道の紅葉も好調
 しかし参道の奥に行くとモミジの葉は緑々している。左に折れた赤門前の参道もこの調子
 ↓お目当ての「明壽院庭園」に入る
 ↓桃山時代の庭園
 白いお堂は不動堂

 ↓不動堂に隣接した茶室
 ↓江戸時代中期の庭園
 血染めのモミジ





 ドウダンツツジ
 茶室の前
 ↓本堂に登る参道入口
 本堂二天門直下まで子地蔵の列が続く。左右一対ずつ500対、合計1000体。
 途中脇の広場に子地蔵達が団体で整列している箇所が3箇所はあるので、子地蔵の聡合計は1500体は下るまい。

 二天門がようよう見えてきた。普通足の方が降参している。
 二天門に最寄りの子地蔵さんの番号「壱」番(お向さんが弐番)
 ↓二天門を潜ると、国宝本堂



本堂側面。こちらから本堂に出入する。
 ↓左の高台に重文三重塔
  
 ↓長い下り坂を下り切って登り口の子地蔵さんの番号を確認すると、1000番。お向さんは999番。
〇金剛輪寺の紅葉の具合は、最盛紅葉の8割と判定。しかし緑が赤に変わるとき、赤は落葉となるので判定は難しい。

2018年11月12日月曜日

〇18-8-11(土)岩手県一戸町「御所野縄文遺跡」

〇一戸から九戸まで辿る旅。岩手県北部の九戸村(一~九で最南)は既に報告済み。今回は次に南に位置する一戸町。
↓一戸町役場に着いた。
 立派な庁舎群
 ↓「御所野遺跡・世界文化遺産国内推薦決定」 この遺跡が町の誇りらしい。
 ↓探訪しなかったが行って来ればよかったと思っている「西方寺毘沙門堂」
 〇「御所野遺跡」の入口に着いた。
 「御所野縄文公園」
 ↓長い通路を潜る

 ↓「御所野縄文博物館」に着いた




 ↓焼けた竪穴式建物の発見が大手柄で一戸町の誇りらしい。
「御所野遺跡では、600棟以上の竪穴建物跡が発見されています。その中の焼けた建物跡を発掘したことによって、屋根に土をのせた建物が、縄文時代に存在していたことが分りました。このコーナーでは、土屋根建物を中心に紹介します」
 ↓発掘された焼けた建物
 ↓遺跡。ここの村は建物が三ヵ所に分布していたらしい。

 〇建物の屋根には土がのせられた構造になっている













 ↓栃の実。縄文時代の主食糧の一つだった。


2018年11月11日日曜日

〇18-11-11(日)晴。能登町「平等寺・花の寺」の紅葉

昼前出発。先週地方版TVで能登町「平等寺」の紅葉を放映していたので。神和住(かみわすみ)という在所に有った。真言宗の寺。行ってみて気付いたが、この寺は初夏にはアジサイ寺として放映されている。紅葉はモミジの林相が貧相で大したことがなかった。ふつう。アジサイもチェックしたが、ふつう。

  本堂



  

   


植生が若過ぎ。「花の寺」と呼ばれているそうだが、売込が上手い。

2018年11月9日金曜日

〇14-8-13(水)《奥の細道紀行》白河市「二所の関址」

曾良随行日記》『(4)21日 霧雨降る、辰の上剋(午前7時過ぎ)止む。(旗宿)宿を出る。町より西の方に住吉・玉嶋を一所に祝奉する宮有り。古の関の明神故に二所の関の名有るの由、宿の主申すに依りて参詣』
↓「白河二所の関址碑」


 ↑「白河二所の関址 白河の関は古くから二所の関と呼ばれ〇溝準平原の中を横断する奥州路はここで道を幾〇にも選べるのである。白河楽翁により指定された今の旗宿道は其の一本である。然しこれより西側三〇四〇所を通っている白坂道は昔からよく利用され古の関蹟にみられる関の男女の明神社があり古関の体裁をもっともよく保ちながら白坂の関址は全く無視されて来た。余、多年関境の研究に没頭し江戸時代よりの関守の家である石井浩然(南部藩士で故あって南部藩の参勤交代路にあたる白河の関守となった石井七兵衛の子孫)と其の考証に當たり遂にその関屋跡を確認することが出来た。茲に白河二所の関址立証を機とし白坂道白河関址に記念碑を建立し永く白河二所の関の意を伝承せんとするものである」