「吉田寺」←リンク
↓吉田寺の裏参道・裏門。表参道があることはある。が、境内から表参道を辿っていくと、途中で農道になり・曖昧になる。山門もない。裏参道が・事実上表参道になっている。
↓重要文化財・多宝塔。瀟洒で美しい。
↓大きな蜂の巣、発見。
↓本堂
↓本尊・阿弥陀如来に向かって小さな木魚が沢山整然と並んでいる。みんなでポクポク叩くと、ポックリと逝けるらしい。
↓境内に、神社発見。
↓以下、絵葉書より。
↓重要文化財・阿弥陀如来坐像。丈六仏といわれているが、ひと回り小振り。
↑↓様式化された仏像だが、陳腐さが全然ない。格調高く・美しさがある。
↓多宝塔内に安置されている秘仏・大日如来坐像。
↓開山・恵心僧都坐像。吉田寺は浄土宗の寺。
2013年12月24日火曜日
2013年12月23日月曜日
〇12,23(月・天皇誕生日)晴れ。生駒市高山「高山八幡神社」、生駒市上町「長弓寺」探訪。
今日最初の探訪地は、奈良県生駒市高山の「高山八幡神社」。ここの本殿が重要文化財だというので見分。着いてみると・郷社格の古社。目当ての本殿は、塀垣に囲まれていて・しっかり見えない。遺憾。室町時代の建造という。典型的な三間社流造り。
次に探訪しようとしたのは、生駒市上町の「円証寺」の重要文化財・本殿。ところが・カーナビに該当がない。地図をじっくり観察するが、所在地が浮かんでこない。仕方ないので・同じ上町の「長弓寺」を参拝することに。この寺の本堂が国宝なんだが、ボクは二、三年前に探訪済み。ただ・その時は、夕暮れ迫る頃に慌ただしく拝観したので、今日はじっくりと。この寺は真言宗寺院(神仏習合が強かった)だけあって、今も境内に「イザナギ神社」を抱えている。この神社、なかなか隅に置けない風格。
生駒山の麓から奈良山(奈良市の北辺の山々)にかけて走り回っているうちに昼が過ぎた。今日は早目に帰宅するつもりで生駒市を立ったが、道中睡魔に襲われ・新設の「湖東三山PA」で昼寝をしていたら、七尾着・18:30。丁度・女房の車の帰宅と鉢合わせた。
次に探訪しようとしたのは、生駒市上町の「円証寺」の重要文化財・本殿。ところが・カーナビに該当がない。地図をじっくり観察するが、所在地が浮かんでこない。仕方ないので・同じ上町の「長弓寺」を参拝することに。この寺の本堂が国宝なんだが、ボクは二、三年前に探訪済み。ただ・その時は、夕暮れ迫る頃に慌ただしく拝観したので、今日はじっくりと。この寺は真言宗寺院(神仏習合が強かった)だけあって、今も境内に「イザナギ神社」を抱えている。この神社、なかなか隅に置けない風格。
生駒山の麓から奈良山(奈良市の北辺の山々)にかけて走り回っているうちに昼が過ぎた。今日は早目に帰宅するつもりで生駒市を立ったが、道中睡魔に襲われ・新設の「湖東三山PA」で昼寝をしていたら、七尾着・18:30。丁度・女房の車の帰宅と鉢合わせた。
2013年12月22日日曜日
〇12,22(日)晴れ。斑鳩・吉田寺、東大阪市・司馬遼太郎記念館、浪速区・今宮戎神社、平野区・杭全(くまた)神社、富田林市・錦織(にしこおり)神社を探訪。
朝一番に探訪したのが、斑鳩「吉田寺(きちでんじ」)、別称・ぼっくり寺。泊まった道の駅「大和路へぐり」から極近い。多宝塔と本尊阿弥陀如来丈六座像が重要文化財。境内はこじんまりとして清々しい。阿弥陀如来像は平安様式だが、これがまた清楚で参拝すると心が爽やかになる。心を洗われた気持で河内に向かう。ぽっくり逝きそうにない。
吉田寺の駐車場で河内の探訪先を思い付いた。「司馬遼太郎記念館」。カーナビで探り当てて出発。カーナビの指示は自動車道に乗るんだが、ボクの余生は貧乏になるので今から節約を心掛けようと下道で行った。途中で学んだこと。柏原市は「かしわら」と読む。八尾市で「弓削」の地名を発見。弓削の銅鏡は八尾地方の出身だったんだ。八尾といえば「河内音頭」の本場。道鏡は宮廷で河内弁を使ったんだろうか。記念館は旧居宅と新築記念館が並んでいる。居宅の書斎が、庭の順路から覗き見れる。記念館内は撮影一切禁止。所蔵してない文庫本があったので、四冊買った。表に出ているスタッフだけでも十人近くいる。いずれも上品に躾けられている。記念館に立派な講堂が附設され、定期に講師を招いているらしい。安藤忠雄クラスの講師。公益財団法人が運営しているんだが、よっぽど裕福と見える。司馬遼太郎が偉大な歴史小説家だったことがまざまざと顕彰されている。公益財団法人だから・その財政的基盤は確立されているだろう。半永久的に顕彰されることになる。それだけでも巨人的。
記念館の駐車場で近くの観光寺社を探ったら「今宮戎神社」を教えてくれたので探訪してみることに。大阪市内に入った、浪速区。着いてみると、意外と境内が小さい。コンクリート校舎の様な四角く細長い建物が建ち並んでいる。駐車場もないし、探訪を一旦断念したが、ここまで来た記念撮影だけはして行こうと思い、路側にセレナを停めて境内に入った。末社の神々が、コンクリ造のアパートそっくりの建物に・アパートそっくりに窓を刳り抜いて戸を付けただけの空間にアパートの住人よろしく肩を並べて納められている。宮司のセンスを疑う。
次の探訪先もカーナビに頼ってみたが、好いのが出てこない。ので、ボク独自の資料で決めた。今宮戎神社に来る途中で「杭全」の地名表示があり、その読みがアルファベットで kumata と表記されていた。その印象(「くい・まったき」が縮まったんだなぁという)が残っていたところに、資料に「杭全神社」に三件の重要文化財建物があるとしてあったので、そこに決めた。行ってみるとなかなか大きな古社だった。旧・府社。本社と両脇の二摂社の三本殿がいずれも重要文化財なんだが、本社の本殿は・春日大社の旧本殿が移築されたものという。しかし・塀に囲まれていてよく見えなかった。遺憾。
最後の探訪地「錦織(にしこおり)神社」も独自の資料で決めた。富田林市にある。富田林は河内と大和を結ぶ交通の要衝に位置する。以前・奈良県御所市から千早赤阪越えで大阪府に入ったら・麓に来たらそこが富田林だった。また・富田林から二上山越えで奈良県を目指したら、出た所が当麻寺だった。錦織神社の本社と両脇の二摂社の各本殿が重要文化財。本社本殿の美しさに魅了された。こんなに形の美しい社殿はちょっとない。修復が成ったばかりで、その美しさは輝くばかりだった。
16:30、錦織神社を後にした。この時刻、今日か明日が冬至なのでもう夕闇が下りてきている。今夜も道の駅「大和路へぐり」に泊まることに。到着は18:00。明日は・生駒地方の重要文化財建物のある寺社を探訪しながら・家路を辿ることに。
吉田寺の駐車場で河内の探訪先を思い付いた。「司馬遼太郎記念館」。カーナビで探り当てて出発。カーナビの指示は自動車道に乗るんだが、ボクの余生は貧乏になるので今から節約を心掛けようと下道で行った。途中で学んだこと。柏原市は「かしわら」と読む。八尾市で「弓削」の地名を発見。弓削の銅鏡は八尾地方の出身だったんだ。八尾といえば「河内音頭」の本場。道鏡は宮廷で河内弁を使ったんだろうか。記念館は旧居宅と新築記念館が並んでいる。居宅の書斎が、庭の順路から覗き見れる。記念館内は撮影一切禁止。所蔵してない文庫本があったので、四冊買った。表に出ているスタッフだけでも十人近くいる。いずれも上品に躾けられている。記念館に立派な講堂が附設され、定期に講師を招いているらしい。安藤忠雄クラスの講師。公益財団法人が運営しているんだが、よっぽど裕福と見える。司馬遼太郎が偉大な歴史小説家だったことがまざまざと顕彰されている。公益財団法人だから・その財政的基盤は確立されているだろう。半永久的に顕彰されることになる。それだけでも巨人的。
記念館の駐車場で近くの観光寺社を探ったら「今宮戎神社」を教えてくれたので探訪してみることに。大阪市内に入った、浪速区。着いてみると、意外と境内が小さい。コンクリート校舎の様な四角く細長い建物が建ち並んでいる。駐車場もないし、探訪を一旦断念したが、ここまで来た記念撮影だけはして行こうと思い、路側にセレナを停めて境内に入った。末社の神々が、コンクリ造のアパートそっくりの建物に・アパートそっくりに窓を刳り抜いて戸を付けただけの空間にアパートの住人よろしく肩を並べて納められている。宮司のセンスを疑う。
次の探訪先もカーナビに頼ってみたが、好いのが出てこない。ので、ボク独自の資料で決めた。今宮戎神社に来る途中で「杭全」の地名表示があり、その読みがアルファベットで kumata と表記されていた。その印象(「くい・まったき」が縮まったんだなぁという)が残っていたところに、資料に「杭全神社」に三件の重要文化財建物があるとしてあったので、そこに決めた。行ってみるとなかなか大きな古社だった。旧・府社。本社と両脇の二摂社の三本殿がいずれも重要文化財なんだが、本社の本殿は・春日大社の旧本殿が移築されたものという。しかし・塀に囲まれていてよく見えなかった。遺憾。
最後の探訪地「錦織(にしこおり)神社」も独自の資料で決めた。富田林市にある。富田林は河内と大和を結ぶ交通の要衝に位置する。以前・奈良県御所市から千早赤阪越えで大阪府に入ったら・麓に来たらそこが富田林だった。また・富田林から二上山越えで奈良県を目指したら、出た所が当麻寺だった。錦織神社の本社と両脇の二摂社の各本殿が重要文化財。本社本殿の美しさに魅了された。こんなに形の美しい社殿はちょっとない。修復が成ったばかりで、その美しさは輝くばかりだった。
16:30、錦織神社を後にした。この時刻、今日か明日が冬至なのでもう夕闇が下りてきている。今夜も道の駅「大和路へぐり」に泊まることに。到着は18:00。明日は・生駒地方の重要文化財建物のある寺社を探訪しながら・家路を辿ることに。
2013年12月21日土曜日
〇12,21(土)奈良。東大寺ミュージアム、法華堂で国宝・重要文化財仏像達と会う。
〇毎度お馴染みの東大寺・南大門前にやってきた。
〇「東大寺ミュージアム」は、南大門を潜ると直ぐの所にある。中央・四月堂に居た千手観音立像木造・重要文化財、向かって右・日光菩薩立像塑像・国宝、左・月光菩薩立像塑像・国宝。
↓大鐘楼の横手から登ると法華堂に着く。
↓二月堂
三月堂・法華堂、側面。
三月堂・法華堂、正面。
法華堂を斜め前から見る。
↓四月堂。この御堂の中に、千手観音立像が安置されていた。
法華堂の国宝秘仏・執金剛紳立像をデジタルカラフル映像化したもの。執金剛紳立像には随所に色素が残っているので・こんなことができる。
〇12.21(土)東大寺ミュージアム・法華堂(三月堂)、春日大社を探訪。
七尾発08:50、奈良・大仏前県営駐車場着13:50。途中、敦賀・長浜間はみぞれ的な雪。
先ず東大寺ミュージアムに入る。お目当ての仏像たちは素晴らしかった。四月堂に安置されていた木造千手観音立像、重要文化財。破天荒に手がニョキニョキ出ている。それがダイナミックで、全体大きくどっしりした像は妙に迫力・存在感を発揮している。何処へ行っても立派に主役を張れる。国宝級だな。その魁偉な迫力に圧倒されて、梅原猛はこの像が行基・流れモノ技能集団の手になるものではないかと疑っている。制作年代を平安時代ではなく、奈良時代にまで遡らせることになる。とにかく平安時代の様式化された仏像とは全然違った感じを与える仏像だ。本物の芸術家の手になる最高傑作彫像。この本尊の脇侍が日光・月光両菩薩立像・塑像、国宝。さらにその外側左右に、四天王像が一体ずつ立っている。ミュージアムの光線の具合が最高なのだろう、どの像も素晴らしい芸術作品に見えた。こう見ると・千手観音立像は、四月堂で見た時は採光が拙くてその良さがほとんど発揮されていなかった感じがする。それでも大迫力を感じたのだから、持って生まれたモノが違うんだろう。法華堂に居た弁財天立像・塑像、吉祥天立像・塑像(いずれも重要文化財)もミュージアムに移転して、そして別室で展示されていた。この二体も素晴らしい芸術作品に見えた。不動明王坐像も移転して展示されていた。法華堂から五体も移転している。
その法華堂を次に訪れた。三年間の修復事業が成って今年の五月から拝観が再開されている。実はボクは未だ法華堂に入って仏像達にお目に懸かったことはなかった。東大寺の仏像達に関心を持った時期が、修復事業期間に懸かっていた。初めて法華堂内に足を踏み入れて仏像達に出会った・その感想は‥。ナント図体の巨大な仏像たちかと思った。どの仏像たちもただヌーと立っているだけで・ダイナミックさが全然ないと感じた。芸術的でない。その点、中央奥の本尊・不空ケン索観音立像のみが輝いて見えた。芸術性・神秘性を発揮していた。本尊以外はみんな駄作に見えたから不思議。本尊の両脇の梵天立像と帝釈天立像、四隅の四天王立像、前列中央の二体の金剛力士像、今はこんな配置なんだが、どれもただヌーと立っているだけで詰まらなく・シュミ壇上の世界が死んだよう。傑作はみんなミュージアムに持って行かれたのかッ。国宝・執金剛紳立像は秘仏でシュミ壇上に出ていないから、本尊を入れて九体の仏像がシュミ壇上に立っている。が、不空ケン索観音立像だけが中央奥で独り頑張っている感じで、他の仏像たちはその図体の大きさの割には存在価値が疑われる。ボクがこんな感じを受けたのは、光線の具合のせいだろうか。ミュージアムの光線の具合が良過ぎるんだろうか。
15:30、手向山八幡宮を通って春日大社に向かう。途中・若草山の麓を通って、裏参道から春日大社本殿に向かった。東大寺の閉門時刻は16:30。駐車場の閉鎖が何時なのか分らなくて・焦って春日大社の広大な境内をひと回りした。初詣の準備でもう拝観コースに規制が掛かっていた。とにかく焦って駐車場に戻ったら16:30。係の人に訊いてみたら、営業時間は東大寺の閉門時刻と関係なし。午前零時頃まで開いているらしい。なーんだ、それなら若宮なども拝観してくれば好かった。
その後、道の駅・大和へぐりまでの道程(みちのり)が時間を食った。この道の駅は、斑鳩の里・法隆寺をちょっと通り越して、龍田川沿いに生駒の方に北上したところにある。古代に平群(へぐり)氏族が蹯踞(ばんきょ)した地域。今夜はここで泊まる。明日は、先ず斑鳩で吉田寺(きちでんじ)「ぽっくり寺」を探訪してから・河内の国に入ってあちこち探訪するつもり。しかし・宛てがないのでこれから探訪先を研究せねばならない。
先ず東大寺ミュージアムに入る。お目当ての仏像たちは素晴らしかった。四月堂に安置されていた木造千手観音立像、重要文化財。破天荒に手がニョキニョキ出ている。それがダイナミックで、全体大きくどっしりした像は妙に迫力・存在感を発揮している。何処へ行っても立派に主役を張れる。国宝級だな。その魁偉な迫力に圧倒されて、梅原猛はこの像が行基・流れモノ技能集団の手になるものではないかと疑っている。制作年代を平安時代ではなく、奈良時代にまで遡らせることになる。とにかく平安時代の様式化された仏像とは全然違った感じを与える仏像だ。本物の芸術家の手になる最高傑作彫像。この本尊の脇侍が日光・月光両菩薩立像・塑像、国宝。さらにその外側左右に、四天王像が一体ずつ立っている。ミュージアムの光線の具合が最高なのだろう、どの像も素晴らしい芸術作品に見えた。こう見ると・千手観音立像は、四月堂で見た時は採光が拙くてその良さがほとんど発揮されていなかった感じがする。それでも大迫力を感じたのだから、持って生まれたモノが違うんだろう。法華堂に居た弁財天立像・塑像、吉祥天立像・塑像(いずれも重要文化財)もミュージアムに移転して、そして別室で展示されていた。この二体も素晴らしい芸術作品に見えた。不動明王坐像も移転して展示されていた。法華堂から五体も移転している。
その法華堂を次に訪れた。三年間の修復事業が成って今年の五月から拝観が再開されている。実はボクは未だ法華堂に入って仏像達にお目に懸かったことはなかった。東大寺の仏像達に関心を持った時期が、修復事業期間に懸かっていた。初めて法華堂内に足を踏み入れて仏像達に出会った・その感想は‥。ナント図体の巨大な仏像たちかと思った。どの仏像たちもただヌーと立っているだけで・ダイナミックさが全然ないと感じた。芸術的でない。その点、中央奥の本尊・不空ケン索観音立像のみが輝いて見えた。芸術性・神秘性を発揮していた。本尊以外はみんな駄作に見えたから不思議。本尊の両脇の梵天立像と帝釈天立像、四隅の四天王立像、前列中央の二体の金剛力士像、今はこんな配置なんだが、どれもただヌーと立っているだけで詰まらなく・シュミ壇上の世界が死んだよう。傑作はみんなミュージアムに持って行かれたのかッ。国宝・執金剛紳立像は秘仏でシュミ壇上に出ていないから、本尊を入れて九体の仏像がシュミ壇上に立っている。が、不空ケン索観音立像だけが中央奥で独り頑張っている感じで、他の仏像たちはその図体の大きさの割には存在価値が疑われる。ボクがこんな感じを受けたのは、光線の具合のせいだろうか。ミュージアムの光線の具合が良過ぎるんだろうか。
15:30、手向山八幡宮を通って春日大社に向かう。途中・若草山の麓を通って、裏参道から春日大社本殿に向かった。東大寺の閉門時刻は16:30。駐車場の閉鎖が何時なのか分らなくて・焦って春日大社の広大な境内をひと回りした。初詣の準備でもう拝観コースに規制が掛かっていた。とにかく焦って駐車場に戻ったら16:30。係の人に訊いてみたら、営業時間は東大寺の閉門時刻と関係なし。午前零時頃まで開いているらしい。なーんだ、それなら若宮なども拝観してくれば好かった。
その後、道の駅・大和へぐりまでの道程(みちのり)が時間を食った。この道の駅は、斑鳩の里・法隆寺をちょっと通り越して、龍田川沿いに生駒の方に北上したところにある。古代に平群(へぐり)氏族が蹯踞(ばんきょ)した地域。今夜はここで泊まる。明日は、先ず斑鳩で吉田寺(きちでんじ)「ぽっくり寺」を探訪してから・河内の国に入ってあちこち探訪するつもり。しかし・宛てがないのでこれから探訪先を研究せねばならない。
2013年12月20日金曜日
〇明日から三連休。初日は奈良・東大寺に行き、東大寺ミュージアムと法華堂に参ろうと思う。
北陸地方は天気は冬型で悪いそうだが、何とか高速道を走り抜いて奈良に入り、東大寺で仏像を参拝したい。
目当ての第一は、東大寺ミュージアムに展示されている諸仏。先ず従来四月堂に安置されていた千手観音菩薩立像・重要文化財。梅原猛が行基仏と見立てている異色の仏像。これをじっくりと観察したい。脇侍として日光・月光両菩薩塑像立像・国宝が配されている。この両菩薩像は従来法華堂に安置されてきた。外に持国天・多聞天立像・重要文化財も展示。
第二は、法華堂・三月堂の諸仏。法華堂は三年間の修理を終えて、今年の五月から拝観を再開しているそう。本尊・不空ケン索観音立像・国宝がミュージアムからご帰還。日光・月光両菩薩立像・塑像・国宝がミュージアムに移転。弁財天・吉祥天もミュージアムに移されたらしい。執金剛紳立像・国宝秘仏は開帳日ではない。安置されている仏像は10体と大分少なくなった。不空ケン索観音は、ミュージアムに居た時は、あの豪華な宝冠を脱がされ・壮観な光背も外されてまるで別人みたいに貫禄がなかった。
奈良での探訪予定はあと斑鳩の里の「吉田寺(きちでんじ)」。通称「ぽっくり寺」。従姉の七重ちゃんが今秋訪ねたと聞いたので、ボクも未探訪なので行く。その日は多分・平群の道の駅で泊まる。翌日の予定は全然立っていない。大阪・河内方面を開拓しようと思っている。河内地方は、神仏文化史蹟の探訪という観点からは大変重要。
〇2010.9.24(金)福岡県宗像市「宗像大社」。宗像三神を祀る総本宮。
〇「宗像大社」←リンク
↑↓石橋の左右に大池が広がる。
↓神門までの境内に、左・手水舎、右・祓所がある。
↓手水舎
↓祓所
↓神門
↓神門向かって右。
↓神門向かって左。
↓神門を潜ると拝殿。重要文化財。
右・拝殿、左・本殿
↓左・拝殿、右・本殿
↓本殿・重要文化財
↓儀式殿
↓本殿後方の神木。末社が並んでいる。
本殿
末社が沢山並んでいる。
本殿の後方に・高宮、第二宮・第三宮に行く出入口がある。
↓第二宮(ていにぐう)、第三宮(ていさんぐう)に向かう。
↓第二宮・沖津宮
第三宮・中津宮
↓第二宮と第三宮が並立している。
第二宮
第三宮
↓高宮に向かう。
↓ここで、高宮の祭祀が執り行われる。
宗像大社の祭神は「宗像三女神」。現在地・辺津宮におわす「市杵島(いちきしま)姫神」は「いつくしま=厳島」姫神と同体。平家の「厳島神社」は宗像大社の系列に属する。
↓宗像大社の「神宝館」は特筆別格の宝物館。ここにある沖の島出土の神宝8万点はすべてが国宝。驚嘆すべきものがある。↑↓石橋の左右に大池が広がる。
↓神門までの境内に、左・手水舎、右・祓所がある。
↓手水舎
↓祓所
↓神門
↓神門向かって右。
↓神門向かって左。
↓神門を潜ると拝殿。重要文化財。
右・拝殿、左・本殿
↓左・拝殿、右・本殿
↓本殿・重要文化財
↓儀式殿
↓本殿後方の神木。末社が並んでいる。
本殿
末社が沢山並んでいる。
本殿の後方に・高宮、第二宮・第三宮に行く出入口がある。
↓第二宮(ていにぐう)、第三宮(ていさんぐう)に向かう。
↓第二宮・沖津宮
第三宮・中津宮
↓第二宮と第三宮が並立している。
第二宮
第三宮
↓高宮に向かう。
↓ここで、高宮の祭祀が執り行われる。
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