2009年7月21日火曜日

森田正剛弁護士が死んでしまった


森田正剛さんとは昭和50年に共に司法試験に合格し2年間の司法修習生活も一緒に過ごした。僕より丁度10歳年上だった。不思議と気が合って弁護士になってからも肝胆相照らした。森田さんは僕のことを「好漢」と呼んだが、こんな言葉遣いが好きな人だった。彼は弁護士として実に有能だった。コンピュータ付きブルドーザーの様に法律実務を精力的にこなした。昭和53年に金沢市で法律事務所を開業し十数年間の奮闘努力で森田正剛法律事務所は金沢でトップクラスの法律事務所に発展した。彼の実務能力と馬力と根性からすれば金沢弁護士会で抜きん出るのは時間の問題と見えた。森田さんは弁護士会務にも骨身を惜しまず精を出した。その活動活躍は超人的で、誰の目にも過労と映った。悲劇は森田さんが60歳の年(平成8年)に起きた。彼は金沢弁護士会の(筆頭)副会長として多忙を極めていたがその日、日弁連の業務対策委員として東京に出張し会議の最中に倒れた。脳卒中だった。一命は取り留めたが以後森田さんは植物状態で生きることになった。以来12年間、森田さんは妻子に見守られて自宅で生きた。今日、告別式の最後に森田さんの死顔に接する機会を得た。12年振りに再会したその顔に12年間分の老いが刻まれているのを見て驚く自分が意外だったが、僕が感銘を受けたのはその顔の綺麗さと穏和さだった。この12年間、森田正剛さんが家族に愛され大事にされてきたことをその死顔は物語っていた。
僕は思う――森田正剛さんの死は(公務に奮闘中の)《戦死》だ。弁護士森田正剛殿に敬礼ッF(`´)。
森田正剛さん、僕はあなたと20年間兄弟の様に誼を交わすことが出来たことを有難く思っています。あなたのことは生涯忘れません。
   Tuesday, July 21, 2009                   三林 隆

この写真、森田さんが東京で会議中に倒れる二年前に金沢で撮影された。検察修習時の指導教官・浅野義正検事(右から三人目。当時富山地検次席検事として赴任)を囲んだ懇親会で。左から三人目(小太り)が森田さん。

0 件のコメント:

コメントを投稿