2009年7月24日金曜日

人物画の師匠・八野田博先生


 芸事は、良い師匠に出会えることが何より。絵の道も同じ。この点、僕の画家(えかき)人生は好運。人物画では八野田博先生、風景画では奥田憲三先生に出会えた。

八野田博先生のこと

 八野田博先生と僕は、この世の縁(えにし)に浅からぬものがあった。初めてお会いしたのは僕が七尾市立袖ヶ江小学校の4年生頃。父母から絵を習うように言われて裕(双子の弟)と一緒に連れて行かれたのが先生の家(国鉄七尾機関区の裏)。毎週日曜日の午前中、二人で画板を下げて通うことになった。どうやら先生が日展に初入選した年のことらしい。七尾に日展作家が出現したのを知った両親が、双子をその先生につかせることを思いついたらしい。二年間ほど通った。晴れた日には、他の塾生ら五、六名と共に先生に引率されて写生に出かけた。雨の日には先生の家の中で(何かを)描いた。七尾港で陽光を浴びながら船を写生したことを覚えている。先生は毎回一人ひとりの絵の裏に数行の講評を書いてくれた。先生の講評は「……であるのが、よい」式で、いつも誰をも好い所を見出して褒めてくれた。多分六年生になって辞めた。七尾市立御祓中学に越境入学したら、美術の先生が八野田先生だった。三年間習った。それから歳月が流れて僕が42歳のとき、裕が「彩の会」に入会した。八野田先生が指導される油彩画の会だそう。丁度僕は絵を描きたくなっていた。夢かと思った。早速僕も入会。先生は、かつて先生の画塾に通っていた双子の少年がそれぞれ「弁護士」と「医者」になってまた先生の指導する絵の会に揃って通いだしたことを悦んで下さった。先生は日展で特選にもなり人物画の(石川県における)大家になっておられた。その画風は一言で「写実の権化」だった。僕は、画家八野田博先生を尊敬しその神髄を学ぼうと努めた(僕の入会後、先生は再度日展で特選になられた)。先生は彩の会で教えられる時、まるで中学の美術教師に立ち返った。黒板にキーワードを書きつけながら講義された。僕に与えられた画家修業用の時間は多くない、それを自覚していたので僕は先生の口を突く一言半句も疎かにすまいと思って聴いた(家に帰って先生の講義録を毎回作った)。そうして思った。先生の講義指導(絵画の要領)は次の諸点に尽きる。①「観察を徹底する」。②「大きく見る」。③「感覚的に描く」。④「構図構成を重視する」。⑤「形が悪い絵に色を塗らない」。⑥「調子を整える」。⑦「色は色相・明度・彩度の三要素から成る」。⑥と⑦は「色価(バルール)」の問題。「色価」は感じ取るもの、そして「色価」を自在に調整調合しパレット画面で操作できなければ絵にならない。そのためには「色彩理論」をマスターすべし。それは難しい理論ではない。何のことはない、かつて中学の美術教室に「色彩理論」が標本図式化されて展示されていた。「色立体」「12or24色の色相環の表」「明度の表」「彩度の表」「補色&対比の表」。要するに「色彩理論」の総ては本当は中学時代に教わっていた。僕はそれらの標本図式を画材店に特注して取り寄せた。僕のアトリエはそれらの標本図式の展示掲示でまるで派手な美術教室になった。僕は特に「補色理論」を重視した。八野田先生の講義指導に「補色理論」が繰り返し登場したし、何よりもゴッホがその絵を意識的に「補色理論」に基づいて(数少ない絵の具で)多彩に描いたことを僕は「ゴッホ書簡全集」を読んで知っていたから。実際、多彩で綺麗な惚れ惚れする(芸術的)グレイを自由自在に作り出し使いこなすことは「補色理論」を身につけて駆使しなければ不可能だろう。こうして僕の頭は八野田先生に感化されて遅まきながら中学の美術教室的様相を呈した。週一回、先生の傍で絵を描くことが楽しかった。時に先生も絵を描かれた。先生が作り出されるグレイはまさに「補色理論」の賜物だった。このままずっと先生の許で絵の勉強を続けていけば、僕にも画家(えかき)人生と言える(司法試験合格で断念した)面白い楽しみな一つの道が開けるかもしれない、そう思って一層力が入るようになった頃、裕(内科医)から先生の病状を聞かされた。先生は末期的肝臓癌に冒されもはや延命が期待できないという。失望した。それから二年間、先生は気丈に絵を描き続けられたが、或る日忽然と息を引き取られた(先生のアトリエには日展委嘱作品が画架に未完のまま残されていた)。僕は47歳になっていた。僕が垣間見た画家(えかき)人生的夢は泡沫(うたかた)のように潰えたかと思えた。しかし半年後、僕は、山中さんと加地さん(共に一水会会友)に誘われて石川県一水会の春の安曇野写生旅行に参加して風景画の大家=奥田憲三先生に出会い私淑する機会を得ることになる。僕に夢を与えそしてその夢を潰えさせた八野田博先生――その死が、僕に奥田憲三先生との運命的出会いの舞台を用意してくれた。奥田憲三先生――この方こそグレイ(=補色理論)の大家的画家だった。人の巡り合わせは不思議なもの。

1 件のコメント:

  1. 初めまして。
    杉山と申します。
    八野田先生の絵を売りたいのですが、
    買ってくれる人はいますか?

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