「奥田奈々子様。ご無沙汰していますが、お元気ですか。
私は、この週末(2003/10/25(土)26(日))写生旅行に行ってきました。今秋最初の写生でした。奥田憲三先生の形見の赤い上着(頂戴したあの上着)を着用して写生したのです。
赤い上着を着ながら、先生と一緒にその傍で描いたことのある思い出のポイントばかりを巡りました。土曜日は午前に
信州・白馬大出(F10号)
信州仁科三湖・中綱湖(F6号)
新潟県妙高高原・いもり池(F10号)
三枚とも派手な絵になりました。奥田先生の上着を着ていたのに絵は先生風とかけ離れてしまいました。奥田先生の傍で描いていたとき僕は先生のキャンバスに置かれていく色々のグレイの諧調の美しさ見事さに心を捉われていました。先生と僕のパレットが(そこに並べられた絵の具の色が)根本的に本質的に違っていたにも拘らずです(先生の絵の具はグレイ系が多かった。僕の絵の具は八野田先生の教えどおり原色系)。それが、奥田先生が亡くなられた途端に僕の絵はパレット通りの派手な(原色的な)絵になってしまいました(何だか格調が低そう)。元の木阿弥って感じです。良くも悪くもこれが僕らしい絵なんだ――そう思わざるを得ません。奥田先生もこう言って下さると思います。「三林さん、君は君らしく描きなされ。君には君の色がある。僕の真似はしなさんな」。これからも奥田先生のことを決して忘れず、しかし奥田先生の絵に囚われず、僕は僕なりの絵を描いていこう、そう思った写生旅行でした。
以上、報告終わり。お元気でお過ごし下さい。
描いた三枚の絵のデジカメ写真を付けておきます。いずれも、奥田先生がじっくり観察して味わっておられた風景です。」
11月5日。奥田奈々子さんからメールが来ていた。
『久しぶりにお仕事を離れ、どんなに楽しく過ごされたことでしょう。 どの絵からも、その時その場の清々しい空気、そっくりそのまま届けていただいているようで、見入ってしまいます。 その後、ご無沙汰しております。 今日は、一水会金沢展の初日、出かけたいと思います。 父を失った同じ年に、松下久信さんが日展特選をとられ、どんなに喜んだことか・・と思うと、残念にも思いますが、もしかしたらきっと、あちらの世界から、○○してくれたのかも・・・。 三林さんのすばらしい絵を父の祭壇に飾ります。「ほーほー」と長く長く見入って味わっていることでしょう。 本当にありがとうございました。 奥田奈々子』
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