2012年3月12日月曜日

〇湖北の重文・観音像巡り―その一「医王寺」の十一面観音像・重文

最初に十一面観音像・重文を訪ねたのが「医王寺」。木之本市街を東に抜けて北上した、高時川の上流の奥深い谷間にある。寺は無住。拝観者用の連絡先が三軒書いてあるが、吾輩には何せ携帯電話がない。近所の「大見いこいの森公園」レストハウスに公衆電話があると書いてあるので寄ってみた。公衆電話は見当たらなかったが、若い勤番の男性が受付窓を開いて用件を聞いてくれた。そして慣れた様子で事務所から当番の村人に電話して頼んでくれた。どうも雲行きはたらい回しにあっているよう。それでも若い人は根気よく頼み倒してくれた。奥山の山里まで訪ねてきた旅人のために熱心さを発揮してくれた彼に感謝するしかない。 寺の観音堂の横で待っていると、大分経ってからおじいさんが自転車に乗って来て「予約して来てくれないと困る」と二度ほどぼやく。それでも観音堂の鍵を開けて拝観させてくれた。記帳を求め、石油ストーブに火を点けてからガイドテープを回す。たった一人の拝観というのが非効率的でお気の毒様というのは好く分る。吾輩はこういう時には気を使って数人分の散財をする材料がないか辺りを見回す。意外にも写真が三種置いてあった、素人の手作りだが。

これこれとばかりに三種とも買った。500円、400円、400円。これに拝観料300円を足して〆て1,600円。これでおじいさんのご機嫌はすっかりよろしくなった。千円札を二枚出すと、じいさんは一瞬間をおいて「おつりはない」f(^_^;)、ハンドバッグは持参していたんやけど。まっ、吾輩のポケットに小銭がなかった時点で想定できた事だったので「釣りはいりませんよ」と言い残して観音堂を後にした。結果としては、おじいさんの不機嫌はすっかりホクホクのご機嫌に転じたし、吾輩は十一面観音像と対面する所期の目的を達せられた。吾輩にとっては銭金(ぜにかね)の問題ではなかったのだから丁度好い按配だったんじゃないか。


テープを聞いていたらこの観音像、元からここ医王寺に安置されていたんではないそう。明治維新の廃仏毀釈の嵐の中で大津の骨董屋に投げ出されていたのを、在所の有力者が買ってきて観音堂を造って安置したという。湖北の出だと思われるが、何処の村の寺の観音様だったのか、今も分らない。それが明治の世も深まってからこの観音像が旧国宝・現国重文に指定されたので有難味が飛躍増大した。ただ吾輩の見るところ、重文としては二級品。
次は「石道寺(しゃくどうじ)」の十一面観音像を探訪する。

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