2012年4月9日月曜日
〇4/8(日)、亀岡「穴太寺(あのうじ)」、山国「常照皇寺(じょうしょうこうじ)」、花背「大悲山・峰定寺(ぶじょうじ)」探訪。最高の思い出の日となろう。
土曜日午前10時に七尾を出て、その日の午後は湖北・湖西を探訪しながら夕方琵琶湖大橋たもとの「道の駅・琵琶湖大橋米プラザ」に着いてそこで寝た。湖北・海津の「和蔵(わくら)堂」で小柄な十一面観音像と丈六仏の仏頭・いずれも重文に面会し、湖西・高島で白髭神社、堅田で小野神社を探訪した。小野神社は旧道の奥にひっそりと鎮まっているので発見に苦労した。小野妹子・小野篁(たかむら)・小野道風・小野小町らを輩出させた小野一族の氏神神社。今日・日曜日は快晴、早朝から動き出し先ず亀岡の穴太寺(あのうじ)に行った。西国33所観音霊場第21番札所。ブログで、西国33所巡りの特集を組んだら、この寺の写真が消失していて特集に穴が空いた。それが癪だったのでわざわざ撮影に赴いたという訳。今回の旅行の動機はこの憂さ晴らし。亀岡からはかねて念頭にチラチラしていた山国町の「常照皇寺(じょうしょうこうじ)」、花背(鞍馬・貴船のずっとずっと山奥)の「大悲山・峰定寺(ぶじょうじ)」を探訪して帰ることに。これが素晴らしい生涯忘れ得ぬ旅となった。国道477号を伝って行く。伝うと言っても、京都から出て北山・西山の谷間を縫って走る若狭路・丹後路・丹波路を横断して行く峰山越えの連続だから大体がジグザク・未整備の悪路。国道とは到底信じられない道中が大半。西から「山国」「京北」「花背」と伝って朽木街道の「途中峠」に出て、それから山を下って琵琶湖大橋を渡った。山国町は不思議な所。幕末動乱のとき「維新勤皇山国隊」が自然発生して世人を驚かせた。勤皇精神の涵養は「常照皇寺」の存在とどうやら関連がありそう。この寺は南北朝時代の幕を開けた北朝初代・光厳天皇の勅願寺。天気も良かったし、最高の思い出ができた。写真整理がちょっと楽しみ。好い写真がある筈(*^^)v
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