以下は土曜日の見聞記。先ずは「気多神社」。↓石碑には「延喜式内名神大社・越中一宮 気多神社」と刻してある。
↓拝殿が見えてきた。
拝殿
↓本殿・重文
↓「一宮」銘の掲額。空海・弘法大師の真筆だというんだが‥
↓「気多大社」銘の掲額、本殿正面上部に掛けられている。これは藤原行成の真筆だそう。
↓「大伴神社」が隣接してある。多分摂社だと思うんだが。
↓拝殿・本殿がある境内の一段下の境内に「越中総社跡伝承地」がある。
〇越中国の総社・一宮は、越中人気質の反映なのか四社もある、四社が我こそはと名乗りを上げて覇を競っている。伏木の「気多神社」、伏木の「二上射水神社」、井波の「高瀬神社」、それに「立山神社」。吾輩が思うに「気多神社」は最有力候補たりうるだろう。能登国は加賀国と共に越前国から分国した。その後一時能登国は越中国と合体した時期があった。合体時の越中一宮は能登羽咋の「気多大社」だった。その後能登国が越中国から分国したとき、羽咋「気多大社」から祭神・大己貴命(おおなむちのみこと)の新魂を勧請して越中総社・気多神社が成立したという。立地している伏木の地は古代に越中国の国府・国分寺等があった所でいかにも総社が鎮座するのに相応しい。しかも気多神社の所在地名は「伏木一宮」。ところでここに至る道中に「二上射水神社」の入口を示す案内標示があった。以前高岡古城公園内にある「射水神社」は探訪したことがあるが「二上射水神社」は探訪してない。そこで次いで足を延ばすことに。単にちょっと戻るだけなんだか。
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