2012年4月22日日曜日

〇4/22(日)、自宅静養中。土曜日は高岡市伏木界隈を散策。気多神社、二上射水神社、臨済宗根本道場・高泰寺。〇「気多神社」探訪

今週末の天気予報は、西日本は土曜日から既に悪く、東日本は日曜日から崩れるというので、遠出する気にならなかった。天気が良かったら久し振りに信州方面に出向いて写生しようかなと思っていたんだが。それでも土曜日の午後から富山県高岡市伏木地区を探訪した。高岡市には国宝・瑞龍寺、重文建造物群で成る勝興寺があるがこれらは探訪したので後は見るべきモノなどないと思っていたんだが、伏木地区に在る「気多神社」がちょっと気になっていた。重文・本殿がある古社。探訪してみて初めて分かったんだが、越中国の古代の中心地は伏木地区にあった。大伴家持も伏木地区で暮らしたろう。高岡、富山地区は城下町として中世になって都市化した。
以下は土曜日の見聞記。先ずは「気多神社」。↓石碑には「延喜式内名神大社・越中一宮 気多神社」と刻してある。



 ↓拝殿が見えてきた。
拝殿




↓本殿・重文




↓「一宮」銘の掲額。空海・弘法大師の真筆だというんだが‥
 ↓「気多大社」銘の掲額、本殿正面上部に掛けられている。これは藤原行成の真筆だそう。


↓「大伴神社」が隣接してある。多分摂社だと思うんだが。




↓拝殿・本殿がある境内の一段下の境内に「越中総社跡伝承地」がある。




〇越中国の総社・一宮は、越中人気質の反映なのか四社もある、四社が我こそはと名乗りを上げて覇を競っている。伏木の「気多神社」、伏木の「二上射水神社」、井波の「高瀬神社」、それに「立山神社」。吾輩が思うに「気多神社」は最有力候補たりうるだろう。能登国は加賀国と共に越前国から分国した。その後一時能登国は越中国と合体した時期があった。合体時の越中一宮は能登羽咋の「気多大社」だった。その後能登国が越中国から分国したとき、羽咋「気多大社」から祭神・大己貴命(おおなむちのみこと)の新魂を勧請して越中総社・気多神社が成立したという。立地している伏木の地は古代に越中国の国府・国分寺等があった所でいかにも総社が鎮座するのに相応しい。しかも気多神社の所在地名は「伏木一宮」。ところでここに至る道中に「二上射水神社」の入口を示す案内標示があった。以前高岡古城公園内にある「射水神社」は探訪したことがあるが「二上射水神社」は探訪してない。そこで次いで足を延ばすことに。単にちょっと戻るだけなんだか。

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