北陸道から関越道に入り、堀ノ内ICで下りてしばらく走ると曹洞宗「永林寺」に着く。
↑庫裏。 ↓右・本堂、左・金堂。
外観はちょっとみすぼらしい感じだが、中味の立派さに驚かされる。↓欄間をはじめ雲蝶の彫刻で満たされている。
圧巻は「石川雲蝶」の欄間彫刻。雲蝶は江戸時代末から明治の初めに生きた人。江戸から招かれて越後に来たという。
↑↓同じ欄間彫刻だが、極端な深掘りなので角度を変えると全然違って見える。
↑↓これも角度を変えて見た。
↑↓上の笛を吹く天女の欄間の裏に回ると、天女が背中の素肌を剥き出しにした女性に変わる。雲蝶は茶目っ気があったと見える。
↓小夜の中山蛇身鳥「出発の図」
蛇身鳥の図
△ダイヤルアップ接続でプログをやるのは送信スピードが遅すぎて物凄く疲れる、時間ばっかり喰う。こんな生活、もう厭だ。石川雲蝶の天井一面の大彫刻を求めてさらに南下して南魚沼市まで脚を延ばしたんだが、そちらはもう手を抜くッ。
おつかれさまです。へ~凄いですね。石川雲蝶、越後のミケランジェロ?こんなすごい欄間の彫刻があるなんて知りませんでした。ほんと実際に見てみたい!です。でも、夜とかひとりだとちょっと怖いような気もしますね。
返信削除あと、そのダイヤルアップ接続とは???
携帯電話で直接画像をアップしたってことでしょうか?
とにかく欲張って無理しないで、休み、休み、旅して下さいね。
石川雲蝶、実はボクも旅に出る直前まで知らなかった。それが通いの喫茶店の雑誌の特集記事で感心させられて急遽旅の日程に加えた。天女の顔に魅入られた。こんな天女の顔を彫る男は只者じゃないという訳。雲蝶という男は、酒好き・博打好き・女好きだったらしい。住職との博打に負けて彫刻を残すことになったという伝説もあるが、この最後の話は嘘臭い。とにかく彫り出したら爆発的な勢いで彫る、普段は多分遊び呆けているといった人生を送った人だったと思う。越後に来たのも、江戸に居れない不義理をしてきたた可能性が大きい。日々こつこつと倦まず弛まず仕事を重ねてそのトータルで私ってなんぼのモノでしょうというタイプでは決してない。遊んでいながらも心に蓄積されたイメージ・熱情がある日突然暴発して作品となるというタイプの芸術家。どちらが真の芸術家かと言えば所詮人様々・人生様々だからどちらもありだろうけど、ボクはこつこつタイプで生きることができないので雲蝶に親近感を持つ。天女の彫刻の写真を見たとき魅入られた。この天女は芸術家でなければ彫れないと思った。一説によるとこの天女の顔は、雲蝶が好きだった女の顔にそっくりだそう。半分はそうなんだろうと思う。あと半分は芸術家の創造。そうでなければあれだけの魅力は生じない、とボクは思います。投稿、ありがとう(^_-)
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