ころり観音の「ころり」は脳梗塞・脳溢血や心筋梗塞で急死するという意味ではない。人様に迷惑を掛けず、健康を日々維持しつつある日天寿を全うして素直に静かに逝くという意味。理想的死に方。ころり三観音を巡礼したからといって吾輩がそのような死に方を希求している訳ではない。吾輩の死亡予定年齢は70歳と定めてあり余命幾ばくもない人生だから、人様に迷惑をかけるような無様なことになる暇は多分ない。死に方よりも余命の生き方が、吾輩にとっては大事。見るべき程のものはすべて見たということでないと、吾輩としては不本意。それで「会津ころり三観音」と言われるほどの観音様はこの目に収めておこうという次第。謂われるほどの仏像か、謂われるほどのお堂か、この目で確認しようという精神。
↓仁王門
↓仁王像。美術品としては冴えないが、威張って強そうなところが如何にも仁王様らしい。仁王像としては上等。
↓観音堂
↓石碑に「国寶・十一面観世音及脇侍不動明王・地蔵菩薩立像」と刻してある。
↓石碑の「国宝」とは戦前指定の旧国宝のことで、現在は「国指定重要文化財」になっている。
↓個人が拝観するのは道が険しい。ここの観音像とも縁がなかった。
↓吾輩は最近、縁のない仏像の絵姿に接するコツを会得した。この写真は、会津一円に貼られているポスター「荘厳なる会津へ」の下端に「会津六詣で」として紹介されていた小さな写真をデジカメ収録してきた。この十一面観音像は銅造で身の丈1m87cmもあるという。鎌倉時代の作らしい。鋳造仏でこれだけの雰囲気・表情が出せるとは、仏師は立派な芸術家だったと見える。再訪して本物にお目に懸かる値打はある。
会津はあだおろそかに扱えない高文化の地域なのだ。会津若松の北郊に勝常寺という古刹がある。ここの本尊・薬師如来坐像及び脇侍の日光・月光両菩薩立像は正真正銘の国宝。↓国宝・薬師如来坐像
勝常寺の開基といわれる「徳一」は南都仏教を代表して新興の北嶺仏教開基の最澄と争論するため会津からわざわざ京の都に招聘されたという学僧だった。
0 件のコメント:
コメントを投稿