〇「島根県立・出雲古代博物館」は素晴らしい博物館になった。荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡等から出土し全点国宝に指定された銅剣銅矛銅鐸の全点が常設展示されている。ボクが素晴らしいというのは、常設展示の写真撮影が全面解禁されたこと。英断である。以前は撮影が禁止されていた。
↓ 以下三枚の写真は、荒神谷遺跡出土の銅剣358本の新鋳造模造品を写した。一枚の写真では収まりきらず、三枚に分けて撮らねばならない。
↓以下の三枚は、出土した本物の銅剣358本の写真。総て国宝。三枚に分けて撮らねば収まり切らない。
↓これは荒神谷遺跡出土の銅矛16本の写真。
↓本物の銅剣・国宝の一部
↓新鋳造した銅剣の一部
↓以下二枚の写真は、銅剣の全点展示。上・垂直面に展示してあるのが新鋳造の銅剣。下・水平面に展示してあるのが、出土した国宝の銅剣。
↓加茂岩倉遺跡出土の銅鐸。39個が出土した。
↓荒神谷遺跡出土の銅鐸。6個出土。
↓荒神谷遺跡出土銅剣の一部。本物・国宝
↓銅剣の新鋳造・模造品。銅・錫・鉛の混合率を本物合金と同一にしてある。銅剣は往年にはこのような輝きを有していた。
2012年7月20日金曜日
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出雲に遺跡があったのですか。それもそんなたくさん出たの?すごーい。新聞に古事記の編纂1300年という簡単な図解の特集があって、ちょうど神様やお宮さんことを教えて頂いたのと一致して、なんとなく考古学!(・_・;)
返信削除それから、ありがとうございます m(*‥*)m とりあえず、なんとかカメラのデータをpcに取り込みました!今頃、昨年中の画像がはっきり見えました (ノ;゚∀)ノ~ 生前の犬が U゚ェ゚U こんなところにいたの!?
出雲の国は古代神話の宝庫なのに、それに見合った考古学的資料が全く出土していなかった。それで出雲神話の出雲性を疑って梅原猛などは、天照系の大和征服王朝が、大和国土着の大国主命系の神々を出雲に島流しにしたのだと考えて「神々の流ざん」という本を書いた。ところが近時、銅剣が358本も出るわ(それまで全国で出土した銅剣数をはるかに上回ってしまった)、銅鐸が39+6個も出るわで(それまで銅鐸が最高に出たのは滋賀県野洲の遺跡から出た10数個)、考古学的状況がひっくり返ってしまった。梅原猛も考え直して本を書き、出雲神話は出雲で生まれた神話であることを認めた。出雲の国は古代日本の一大中心地であり、その王朝は日本の大きな部分(吉備・大和を含め)を制覇した大国だった可能性がある。しかし出雲王朝の主は新興の大和王朝との対決を避け大和王権に服属する道を選んだ。神として空前の規模の出雲大社に祀られることを条件に。これが国譲り神話の根幹だという訳。それはそうと、デジカメのデータがPCに取り込めて好かったですね。死んだ愛犬の写真が亡霊となってさまよっていたんですねぇ(>_<)
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