〇奈良朝・聖武天皇の時代、信濃国の国府は上田市にあった。国分寺・国分尼寺も上田市に建立された。
左が国分寺史蹟、右が国分尼寺史蹟。史蹟は二本の線で分断されているが、下の線は国道18号線、上の線は「しなの鉄道」。ボクは、国道18号線としなの鉄道線路に挟まれた区域を歩き回った。
国道18号線。右側が国分寺史蹟。
講堂礎石が残っている。
金堂礎石が残っている。
金堂跡を側面から見ている。
回廊は、講堂の両側から出て、中門(しなの鉄道線路の向こう側)に接続していた。
回廊。しなの鉄道線路に突き当たっている。
僧坊は回廊の外にあった。
五重塔も回廊の外にあった。
五重塔の心礎の位置を示す。
塔跡から見た線路の向かいの国分寺址。
しなの鉄道線路の向こう側に、中門・南大門があった。
講堂から出て直角に折れて伸びた回廊が線路にぶつかっている。
線路越しに回廊が続いて伸びている。向こうで直角に折れ曲がっているのが見える。折れ曲がった先に中門があった。中門の先に南大門があった。
国分寺・国分尼寺の両方が見える地域。
国分寺と尼寺の間にある通路。
通路は線路の下を潜る。
国分尼寺の史蹟は、線路のこちら側には北門の一角しかない。あとは全部、線路の向こう側。
線路の向こうの石碑。「史跡・信濃国分尼寺・法楽滅罪之寺跡」と刻してある。
以下は、線路の向かい側の尼寺史蹟
史蹟内に生えている「カバンの藤」。有名な藤らしい。
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