〇法輪寺の創建は、聖徳太子の御子・山背大兄王が太子の病気平癒のために建立したと伝わる。昭和25年の発掘調査で、法輪寺が法隆寺式伽藍配置であり法隆寺西院伽藍の3分の2の規模であったことが判明した。また飛鳥様式の薬師如来坐像(重文)戸虚空蔵菩薩立像(重文)を伝えることから7世紀末ころには寺観が整っていたと考えられ、十一面観音立像(重文)など平安仏を多く伝えることから平安時代には寺勢なお盛んであったことが窺える。法輪寺が現在の規模になったのは江戸時代・正保2年に台風によるもので、金堂・講堂をはじめ諸宇悉くが倒壊し、三層目を失った三重塔だけが残ったと伝えられる。その後宝暦年間に三重塔が修理され、金堂・講堂等が再建されたが、規模は大幅に縮小された。三重塔は国宝指定されたが、昭和19年に落雷により焼失し国宝指定は解除された。
昭和50年4月、三重塔再建。ほぼ焼失前の姿・仕様を伝えているそう。
金堂。三重塔と向かい合っている。
講堂。正面・奥にある。
妙見堂
以下「絵葉書」より引用。↓薬師如来坐像・飛鳥時代・重文。法隆寺金堂の仏像を髣髴とさせる。法輪寺・本尊。
虚空蔵菩薩立像・飛鳥時代・重文。面相がいかにも飛鳥仏。
十一面観音菩薩立像・平安時代・重文。像高約4mで巨大。講堂の中央に堂々と屹立する。講堂本尊。
弥勒菩薩立像・平安時代・重文。
地蔵菩薩立像・平安時代・重文
吉祥天立像・平安時代・重文
米俵乗毘沙門天立像・平安時代
聖徳太子二才像・鎌倉時代
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