北陸中日新聞'13.1.28「中日春秋」より引用。
「法隆寺の宮大工には、棟梁の心構えが代々口伝されている。昭和の大修理を担当し、「最後の宮大工」と呼ばれる故西岡常一さんは「堂塔の木組みは、寸法で組まず木の癖で組め」と語っていた▼木材には癖がある。左右にねじれを戻そうとする木を組み合わせ、部材同士の力で癖を封じ全体のゆがみを防ぐ。「木の心」ともいえる癖は育つ環境で左右される。それ故、山まで足を運んで地質の癖を見ぬいてから買う。「木を買わず山を買え」と伝わるゆえんである▼揃えてしまうということは、きれいかもしれませんが、無理を強いることですな」と西岡さん。木の命をつなぐ技術があれば「木は鉄を凌駕する」という▼棟梁の立場は優れた教師に通じる。成育環境も踏まえ、子どもの性格を見抜いて長所を伸ばす技量が求められる。暴力と恐怖で服従させるのは、木の癖も考えずに組み立てる三流の宮大工以下だ▼‥‥略」。愛知県立豊川工高事件・大阪市立桜宮高事件についての評論記事だが、ボクは故西岡常一氏の口伝に心服した。神髄が達人の口をついて出る言葉は美しい。
0 件のコメント:
コメントを投稿