金倉寺の歴史・由来
金倉寺は、弘法大師の甥で天台宗寺門派の開祖
「智証大師」が誕生した地。縁起によると、弘法大師が生まれた宝亀5年に智証大師の祖父・和気道善(わけどうぜん)が建立し、道善は「自在王堂」と名づけ、仁寿元年(851)11月に官寺となった際に開基の名をとって「道善寺」となりました。その後、唐から帰朝した智証大師が唐の青龍寺にならって伽藍を造営、薬師如来を刻んで本尊に。「金倉寺」になったのは928年、醍醐天皇の勅命で、地名の金倉郷にちなんだ寺名となったようです。
「智証大師」は、子供の頃「日童丸」と呼ばれ、たいそう賢いと評判でした。智証大師が2歳の時には、一人で遊んでいる幼い体からなんとも言えない後光が射しているのを付近の人々が見たといわれています。そして、「きっと仏様が生まれ変わったに違いない。将来は必ず立派なお方になられるだろう。」と、この地に立派な子が生まれたと喜び合ったそうです。また、5歳の時には目の前に天女が現れ、「貴方は三光天の一人、明星天子であり、虚空蔵菩薩の仮の姿。貴方が将来仏道に入るなら私がずっとお守りしましょう。」と告げられたという伝説も。この天女こそが、よその子供を食べた罪でお釈迦様に末子をとられ、子供を失った母の辛さを教えられた後に仏になったとされる「
訶利帝母(かりていも)」(別名「鬼子母神(きしもじん)」)でした。こうして訶利帝母に守られて育った智証大師は、修行を重ね、仏法を広めることに精進できたといわれています。
〇天台寺門宗。本尊は薬師如来。
↓ 仁王門
天台寺門宗開祖「智証大師」誕生地、「訶利帝母(鬼子母神)」出現地。
仁王門傍の大楠
仁王門から真っ直ぐに本堂に至る。
駐車場から境内に入る道。横手から入ることになる。
本堂。本尊は薬師如来。
訶利帝母(鬼子母神)堂
↓ 大師堂。弘法大師と智証大師が並んで祀られている。
観音堂。本尊は十一面観音。
本堂
英霊を祀る神社。この寺には、乃木希典の遺品展示室がある。乃木は明治31年から約三年間この寺で暮らしたらしい。
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