2013年3月26日火曜日

〇四国88札所霊場巡り、第80番・香川県高松市国分寺町「国分寺」

国分寺の歴史・由来

創建当時の遺構をよく残した寺で、旧境内の全域が国の特別史蹟。本堂は、全面と背面に桟唐戸のある鎌倉中期に再建されたものです。また周辺には創建当時の本堂の礎石・33個が点々と配置されていて、唐招提寺の金堂に匹敵する規模を思わせます。また、山門の右手には七重の塔の礎石も残っており、現存していれば京都・東寺の五重塔を超す大塔だったといわれています。寺の創建は聖武天皇の時代。勅命を受けた行基菩薩が巨大な十一面千手観音像を刻み、本尊としました。その後、弘仁年間(810〜823)に弘法大師が霊場に定めますが、「天正の兵火」で堂塔のほとんどを焼失。藩主・生駒氏や松平氏によって再興され、今に至ります。
また、この寺で有名なのは四国最古の梵鐘(ぼんしょう)。当時の藩主・生駒一正公は、当時この鐘を高松城の鐘にしようと、田1町(ちょう)と引き換えに手に入れます。ところが、城へ運ぼうとすると思ったより重く、ひと苦労。しかも、城についた途端音がならず、おまけに城下では悪病が流行。そして、自身も病に倒れた 一正公の枕元に毎夜鐘が現れ「もとの国分へ帰りたい」と泣くのです。そこで結局、鐘は国分寺へ返すことに。城に運んだ時と違い、今度はなぜか軽々と運べた上、鐘が国分寺へ戻った途端悪病は治まり、再び美しい音色を聞かせるようになったという伝説が残っています。
国分寺の見どころ
本堂
鎌倉時代、旧講堂後に再興された国の重要文化財。
本尊はケヤキの一本造りの秘仏。
梵鐘
創建当時から残る四国最古の鐘。
興味深い伝説が多いことでも有名。
↓ 仁王門


境内



本堂へ
本堂






↓ 七重の塔の礎石らしい。
大師堂へ
大師堂
百円玉から十円玉への両替機は初めて見た。右端の青いほっそりとした機械は千円札から百円玉への両替機。
大師堂内部


 

2 件のコメント:

  1. 体調は大丈夫ですか?あんまり無理しないで身体もいたわってあげて下さいねo(>o<)o みんな心配してますよ(;`O´)o そんで、霊場巡りはいよいよ80番代ですね~もうひといき...(-。-;)y-゚゚゚

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  2. そうなんですよ、霊場巡りも80番代を越して本当にもう一息。本当はもうヘトヘト(>_<)。88番まで辿り着いた時は、多分プログ画面上で倒れる。倒れて冷たくなった姿を示して同情を買うため、お遍路装束一式・仕入れておけばよかったかも。巡礼中、そんな劇的最後もあり得ることを想像してみなかったなぁ。四国の山地を駆け巡っていたときよりも今の方が辛い。とにかく”目指せッ、88番”です。












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