志度寺の歴史・由来
香川県東部、志度湾に面して建立される志度寺。海の向こうはるかには、屋島や五剣山の稜線を望めます。開創は古く推古天皇33年(625)、四国霊場屈指の古刹です。海洋技能集団海人族の凡園子(おおしそのこ)が霊木を刻み、十一面観音(かんのん)像を彫り、精舎を建てたのが始まりと言われ、その後、藤原鎌足の息子、藤原不比等が妻の墓を建立し「志度道場」と名づけられました。その息子房前の時代、持統天皇7年(693)、行基とともに堂宇を拡張し、学問の道場として栄えました。能楽の作品「海士(あま)」の舞台としても語り継がれています。室町時代には、四国管領の細川氏の寄進により繁栄するが、戦国時代に荒廃。その後、藤原氏末裔、生駒親正(安土桃山時代、信長や秀吉などに仕える)による支援を経て、寛文10年(1671年)高松藩主松平頼重の寄進などにより再興されました。志度は、江戸時代の奇才平賀源内の故郷であり、近くに記念館があります。
志度寺の見どころ
仁王門(国指定重要文化財)
門前町の突き当たり、運慶の力作、仁王像と巨大わらじが迎えてくれる、全国的にも珍しい三棟造りの堂々とした佇まい。本堂とともに讃岐藩主、松平頼重により寄進されました。本堂・本尊(国指定重要文化財)
本尊・十一面観世菩薩立像、さらに両脇侍の不動明王立像、毘沙門天立像は平安時代の檜一木造り。讃岐藩主、松平頼重により寄進された本堂とともに全て重要文化財に指定されています。海士の墓
能楽でも詠まれる藤原家にまつわる悲話の舞台、藤原房前が母のために建立したと言われる「海士の墓」が約20基並んでいます。海士の命日である7月16日には、「志度寺の十六度市」が開催されています。この日は年に一度、本尊十一面観音の御開帳を行っております。
曲水式庭園
曲水式庭園・無染庭(むぜんてい)
「曲水式庭園」は室町時代の作庭で、天に向かいそびえる力強い石組が印象的。書院の正面に作庭された無染庭は禅式枯山水庭の定型を採り竜安寺を感じさせます。拝観料無料。〇曲水式庭園があったとは‥‥しかも拝観無料だったとは。見るべきだった、絶対。悔いが残る。
〇仁王門前に塔頭寺院「常楽寺」がある。火災で堂宇は何も残っていないが、平賀源内の墓だけはしっかり残っている。
志度寺・境内図
仁王門門と金剛力士像は重要文化財。
宝物庫
仁王門から見た境内。正面奥に薬師堂。
薬師堂
納骨堂
閻魔堂
右・本堂、左・五重塔。
右端・大師堂、左・本堂。
大師堂
本堂・重要文化財。
左・本堂、右・大師堂。
五重塔・奪衣婆堂から見た境内。左・本堂、右参道奥・閻魔堂。
〇とうとう「志度寺」までやって来た。あと二ヶ寺で結願。
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