〇愛西市「道の駅・立田ふれあいの里」を出発し、午前八時半・清洲城到着。
↓五條川に赤い橋が架かっている。
↓五條川。
五條川は水量が豊富で水流が早い。その川に大鯉が沢山泳いでいる。
以上写真で見た清洲城は虚構の城である。虚構と断言する理由の第一、信長の時代・清洲城に天守閣はなかった。第二、本来の清洲城は五條川の西岸にあった。写真の天守閣は東岸にある。
信長時代の清洲城はこの様なモノだったらしい。
↓五條川・西岸。信長時代の石垣を再現しようとしている。注目すべきは、地盤が湿地で軟弱なため太い材木を基礎にしていること。材木・基礎が腐食したらどうなるのかという疑問がある。
西岸は緑豊かな公園になっている。面積は、清洲城敷地に遠く及ばないが。信長公を祀る祠がある。
↓軍装をした信長公の銅像が建つ。
↓東岸の虚構の城の門が開いた。確か午前九時。
↓「信長塀」。信長は今川軍の侵攻に対して捨て身の突撃戦を敢行するに当たって・熱田神宮に戦勝祈願をし・その際勝利の暁には塀を寄進することを約した。熱田神宮には今も信長寄進にかかる「信長塀」が残っている。その塀をここに再現してある。
↓拡充された清洲城
↓天守閣の中を拝観すると「戦国・中スポ」新聞が貼り出されている。実にユーモラス。天守閣から五條川・西岸の清洲城址公園を眺める。公園の真ん中をJR東海道本線・東海道新幹線が通る。
清洲城探訪は、歴史好きのボクにとっては実に感慨深い。どうしても訪れてみなければならない旧蹟の一つ。思っても見給え、信長はここ清州城から五條川を東に渡って桶狭間に向かって馬を走らせたのだ。ここ清州城で家康と同盟した。ここ清州城を拠点に美濃攻略に勤しんだ。すべてはここから始まった。始まりは小規模な舘からだった。
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