2013年7月14日日曜日
〇7/13(土)高松市「栗林公園」、西条市「リベンジなるか・横峯寺」「石鎚神社」、善通寺市「西行庵」
土曜日06:20起床。07:20出立。高松市「栗林公園」到着09:20。予想・期待通りの立派な江戸期の大庭園。借景の紫雲山が雄大で利いている。庭園正面口に栗の林があったので栗林庭園と呼ばれたが、伐られて今はない。が、名のみ残った。讃岐・高松から伊予・西条まで大移動。西条は愛媛県の西・長縄半島(今治があり尾道に通ずる島伝いの海道が始まる)の東側付根にあり・どちらかと言えば松山に近い。今日のメインエベント・「横峯寺」探訪に挑戦。半年前の年末年始・四国88ヶ所霊場巡りで・林道の冬季凍結を理由に足止めを喰わされた、その林道を駆け登る。林道は予想を超えた厳しい傾斜が続く。これでは冬季凍結閉鎖も已むを得ない。深く納得。しかし、冬季閉鎖と矛盾する次の案内板が林道に出ていたのは許せない。「冬期間は凍結するので、納経の受付時間は朝8時から夕方4時までとします」。どういうこっちゃ。とにかくリベンジを果たしてして88/88の満願成就。横峯寺に至る旧参道を現代人は決して登ってこれない。不可能。仁王門は今も旧参道に向かって建っているが、参拝者は誰もこの門を潜らない。昔・境内の最奥にあった聖天堂の方からやって来る。しかしこの寺は明治維新以前は石鎚神社と神仏習合しており・修験者が艱難辛苦を身に引き受けて修行のために旧参道を登って横峯寺に至り、そしてさらに石鎚山の山頂を目指した。六根清浄の世界に入魂していた。明治政府は神道を偏重して神仏分離令を出し、中でも神仏癒着していた修験道を目の敵にして禁止した。過激な神道家が民衆の浅薄な層を煽り立てて廃仏毀釈を徹底的にやった。アフガンのタリバンを思えばいい。石鎚神社と神仏習合していた横峯寺と前神寺は廃寺となった。もっとも両寺とも明治末頃には復活していた。前神寺は石鎚神社本社の隣で堂々たる伽藍を建ち並べ隆盛を誇っている。どうやら修験道的仏教らしい。横峯寺は真言宗御室派。横峯寺を後にして、石鎚山に源を有し深い谷を穿っている加茂川を遡った。そして石鎚山の懐深く・京屋という在所まで行ってロープウェイに乗ろうとしたが、15:20ではチト遅くて帰りが不安だし、乗り口が多いに気持悪かったので止めた。どうも素人向きじゃない。中腹・成就社はボクと縁がない。山を下りて国道沿いの石鎚神社・本社を参詣。大社である。崇敬組合を組織し・それを周辺国に張りめぐらせて経済的基盤を涵養している。もう一つの中腹社・遙拝所はスカイラインを辿れば行ける。最後に伊予・西条から讃岐・善通寺に長躯舞い戻り、「出釈迦寺」傍の「西行庵」を探訪。夕暮れが迫る中、どうしても見つからない。在所の御爺さんに懇切な説明をして貰って四苦八苦の末に到達。崇徳上皇の霊を慰めるため西行がこの讃岐の地に留まって結んだ庵はここにあったのか、と感激ひとしお。セレナを運転して入って行くのが大体無理な道なき山中。そう言えば近くの「曼荼羅寺」の境内に、西行がしばしば訪れてその上に寝て昼寝をしたという伝承の石があった筈。以前曼荼羅寺を訪れた時・写真を撮らなかったので・明朝寄って写して行こう。ここは出釈迦寺・曼荼羅寺から程遠くない道の駅・三野(ふれあいの里みの)。弥谷寺の前。今夜はここで泊まる。以前一度泊まったことがある。プログサイトに電波は通じない。
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