2013年8月14日水曜日

〇今、道の駅「いぶすき」。電波の調子が好いので、ここ二日間の報告をドドッとf(^_^;)

〇8/13(火)。今、九州道・八代IC手前の宮原SAに入り込んでいます。今夜はここに泊まり、明朝八代ICで下りて海岸線沿いに薩摩半島に向かいます。途中、水俣ではあの窒素工場と水俣湾を見ておこうと思います。知覧の特攻隊の記念館と武家屋敷跡も欠かせません。最後は枕崎に出て薩摩半島の旅は終わり。開聞岳は既に見たが、その麓にチョットした神社があったが無視して通り過ぎた。後で調べたら「枚聞(ひらきき)神社」といって薩摩国一宮に数えられているそうで残念無念、写真くらい撮っておくべきだったと後悔しました。今回はこの無念を晴らして帰ります。薩摩半島先端の指宿温泉・山川港からフェリーで向かいの大隅半島先端にチョイと渡ってズルするか、大真面目に鹿児島湾を一周して大隅半島先端までセレナに鞭打って走るか、それが当面のボクの悩みです。大隅半島を周遊するところまでは必ずやり遂げると思うんですが、その後の旅程が定まりません。七尾まで帰らねばならないことも忘れてはなりません。ここまでのところ、ボクの頭には戻りの日程がありませんでした、全然。そろそろ戻りの旅程も織り込まねば。
今日は予定通りの探訪をこなしました。佐賀県で・肥前国一宮と称する神社がおかしなことに二社あって、それがまた全国一宮会で公認されているので、二社とも探訪。その名称が人泣かせ。「與止日女神社」と「千栗八幡神社」。よっぽどの通・オタクでないと読める筈がない。「よどひめ‥‥」と「ちりくはちまん‥‥」。どちらも・そんじょそこらにありそうなお宮さん。次に尋ねた筑後国一宮「高良(こうら)大社」は久留米市の市街地に聳える高い山の上にある。車道のなかった昔、本当にあの山の上まで石段を踏みしめて登って参拝したんだろうか。ちょっと信じられない。本殿・拝殿その他が重要文化財だけあって・一見して肥前国一宮と格が違う。その次も久留米市内。郊外市街地にある浄土宗本山「善導寺」。これまたとんでもなく格調高く・また巨大な古刹。本堂・総門その他多くの建物が重要文化財。ボクの知らない重要な文化財が、あるところにはとにかくあるもんだなぁ。ボクの知見など、たかが知れている。最後に回った福岡県(筑後国)大川市の「高浪神社」(高浪宮)で完璧に脱帽。本殿と五重石塔が重要文化財なんだが、ボクにすれば無名の取るに足らぬ神社を訪れてみる筈が、その格調の高さと、そして想定外の大きさに圧倒される。世の中に見るべきモノはまだほぼ無尽にある。『人生は短く、一日は長い』という七重ちゃんオリジナルの格言は、ひょっとしたら凄い、素晴らしい格言かも(o)
〇8/14(水)。19:45、道の駅「いぶすき」に入り込みました。今朝は07:00に目覚め、08:00に九州道SA「宮原」を出立、直ぐに八代JUCから南九州自動車道に乗り移って・途中で下道に下りて水俣に来ました。水俣病を生んだ土地が今どうなっているか、それをこの目で確認しておこうという考え。メチル水銀で汚染されたヘドロで海底を埋め尽くされていた水俣湾の一部に埋め立て区域を設定し・そこにヘドロ浚渫土を集中させて埋め立てし、その広大な埋め立て地を公園にしようという計画が国によって策定された。その浚渫・埋め立て工事がとっくに完工して一大公園となっており、その一角に「水俣病被害資料館」が建てられていた。ここで水俣湾と不知火海は違うことから先ず認識しておかねばならない。水俣湾は、岬と島でいかにも囲われた形の比較的狭い海域。不知火海(八代海)全体の中ではごく狭い。チッソはこの水俣湾に工場排水の流出口を開いていた。それで当初の被害者はこの水俣湾沿岸の村から出た。チッソは幾つもの人道犯罪を犯したが、その一つは排出口を・水俣湾から・より広い不知火海に付け替えたこと。社内の秘密実験で、排出ヘドロを与えた猫が水俣病と同じ狂い方を発症することを知った後。チッソは猫実験を秘匿し・以後実験を廃止した。排出物を広い不知火海に拡散すれば、被害発生を希釈化して誤魔化せるとでも思ったらしい。裁判や石牟礼道子の著作その他でチッソの数々の人道犯罪が暴露され、そして事件は判決・和解で幕を下ろした。最後に残された課題は、排出ヘドロの除却をしなければ水俣に安心・健康は戻らないということ。結局・国が560億円の費用を掛け、チッソはその6割の負担をして、水俣湾の一部を埋め立ててその下のヘドロを封じ、またその埋め立て用に水俣湾を他の海域と遮断する措置を講じて湾内全域を浚渫し・その浚渫土を埋め立て用地に運んで来て埋め込みその上を盛り土することによって・一大公園が出現すると共に、水俣湾は元のきれいな海に戻ったらしい。ボクが海岸の村を通った時、オッサンが二人、磯釣りをしていたから・きれいになったことは間違いなかろう。細川一医師という、チッソ水俣工場の附属病院院長の良心的原因究明努力とその証言がなければ、メチル水銀中毒被害はもっと拡大し・悲惨化していただろう。細川院長に対抗して水俣病ウィルス原因説を称えて人心を撹乱し続けた研究者がいたが、それが京大医学部の人間だったことは恥ずかしい。チッソは幾多の人道犯罪を犯し続けた。それは到底許し難い。しかし、チッソは肥料製造企業としては勝れていて潰れぬらしい。そして水俣の町は、チッソの企業城下町として生きて行かねばならない宿命にある。こうして水俣病の発生と・その被害者たちが味わわされた塗炭の苦しみのことは、いずれ忘れ去られる。それを許すまじとして、被害資料館には数十人の語り部が登録されて活動している。しかし幾世代まで語り継がれるものだろうか。風化は早晩免れまい。それが人間。人間以外の生物には、過去も未来もない。あるのは現在だけ。過去や未来は、人間の頭の中の想起や想像の中にだけある。いわば幻想。人間にも本来・他の生物と同様・過去や未来はない。だから人間も性懲りもなく過ちを繰り返す。歴史は宿命的に繰り返す。
水俣の南隣が鹿児島県・薩摩の国。阿久根市、薩摩川内(せんだい)市と辿っ行って・川内に薩摩一宮を称する「新田神社」があることに気がついて探訪した。これがとんでもなく長い参道を有する神社で、しかもかなりの山上にある。二の鳥居の前に参拝者は着くんだが、ボクは一の鳥居まで参道を辿ってみた。片道1.5kmはある。一の鳥居は川内川の土手に面して建っている。往復せねば二の鳥居の前に戻って来れないから、ボクはこのド暑い中を3km歩いたことになる。そのうえに山上まで数百段の石段を登ったんだから・疲れ果てました。
薩摩半島の先端・枕崎港に着いたのは16:00過ぎ。枕崎港は焼津・境港クラスの大漁港。
枕崎を後にして夕暮れを迎えるひと時に・今日のクライマックスがドドッとやってきた。最終目標は道の駅「いぶすき」なんだが、指宿温泉の手前に開聞岳・薩摩富士と薩摩国一宮を主張するもう一方の旗頭「枚聞(ひらきき)神社」があり、一緒になって現れた。開聞岳は最初は西から見た。そして間に「枚聞神社」探訪を挟んで、今度は東から見ることになった。この東から見た光景は、長崎鼻という有名な絶景ポイントに立って・赤い夕日が開聞岳の肩に掛かって沈んで行くのを鑑賞するというモノ。千載一遇のチャンスに遭うとは、まさに今日のボクのこと。どんな写真になっているか楽しみ、だが三台のカメラがどれもこれもガタが来ているのでどんなものですかねぇ。今日の日本の暑さはどうだったんですかねぇ。ニュースを見ないので分りません。南九州は当然のように暑かったです。明日は大隅半島を周遊して、いよいよ北上を始めます。それでは(^.^)/~~~

1 件のコメント:

  1. 残暑お見舞い申し上げます~ <(_ _)> そしてお疲れさまで~すp(^^)q この猛暑の中、陸路九州の最南端まで行っておられるのですか!!(◎0◎)この先どうやって帰ってこられるのか!? 地図を想像するだけでも億劫になりますが (;-_-)=3 航空便も船便も直行便なんぞないし・・・まだまだ、お暑うございますよ。
    カラダももセレナくんも休み休み、気をつけてお帰り下さいマセ(=^人^=)

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