通潤橋(つうじゅんきょう)は、江戸時代の嘉永7年(1854年)に阿蘇の外輪山の南側熊本県上益城郡山都町(やまとちょう)の五老ヶ滝川(緑川水系)の谷に架けられた石組みによる通潤用水上井手用の水路橋である。
↓道の駅・通潤橋からの眺め。
橋建造の計画を立てた地元の総庄屋・布田保之助の銅像。
↓通潤橋を有名にしているのは、この写真Wikiに見られる放水だろう。橋の中央部から泥や障害物を用水路から抜くために・時々放水される。
↓ボクは下から眺めていたとき、橋の上は剥き出しの用水路になっていると思っていた。が、あにはからんや・こんな構造になっている。石造水管が三本通っている。水管の始まりと終わりは真ん中よりも高くなっている。ナント・通潤橋はサイホンの原理を応用しているのだ。橋の上から下流を見下ろす。
上流を見下ろす。
水管・サイホンの入口
三本の水管・サイホンに対応して水の取り入れ口も三列になっている。
橋中央の放水口。三列の水管・サイホンそれぞれに一個ずつの放水口がある。上流に向けて二口、下流に向けて一口。
水管・サイホンの終局部。高くなっている。
↓石碑の傍に置かれているのが、石造水管。これが、橋の上に三列縦隊で並べられて・サイホンになっている。
石碑の文字は、「宮部鼎三」の筆と言われている。彼は、幕末に京都「池田屋」で新選組の切込みに遭って斬殺された。
用水取り入れ口から橋の上を見る。
橋の上。奥が終焉部。
水管・サイホンの終焉部。ここにサイホンの原理で水が噴き出す。
石造水管の列に組み込まれる松材で造られた水管が、観光客用に晒されている。
↓これが、石造水管。
↓通潤橋の用水で潤う高台地域の図示。
三列の石の連なりがそれぞれサイホンになっている。石の列が途切れているが、この部分に松材から作られた水管が嵌め込まれている。石だけでは地震・暑熱などでサイホンの密閉が破られる惧れがあるので・緩衝材として用いられているらしい。また保守管理の都合もあるらしい。
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