米原市の観音寺に重要文化財を探訪しに行って・初めて知った。この寺こそ・石田三成が、狩りに出て一休みしにきた秀吉に見出された寺であったことを。三成=佐吉少年は、茶を所望する秀吉に・最初温(ぬる)目の茶をたっぷりと出した。一息に飲み干した秀吉はもう一杯所望した。すると熱目(あつめ)の茶が分量控え目に出され、それを秀吉は味わいながら飲んだ。オヤッと思った秀吉は三杯目を所望してみた。今度は・熱い茶が少し出された。それを味わいながら、秀吉がその少年の機転に感心し・見所あるヤツと見て・長浜城に召し抱えたという有名な話の舞台。
↓重文・惣門
↓石田三成・水汲みの井戸
↓総門横の蔵
↓本坊。質素。
長い参道を歩いて来ると、この石段を登る。正面に本堂が見えてくる。左手に水屋。
水屋
↓重文・本堂
↓十三重石塔から本堂を見る。
本堂
↓重文・鐘楼
↓本堂
↓左・本堂、右・薬師堂
↓本堂
↓本堂と鐘楼
参道を戻る
↓伊吹山が近い。
↓横山城跡も近い。横山城は、姉川の戦で勝利を収めた信長が、小谷城・浅井勢の抑えに、秀吉をこの城に籠めた。そして信長は、機を見て小谷城攻撃に出た。その際・小谷城救援に出向いて来ながら戦意なく退却した越前・朝倉勢を追及して一気に越前一乗谷を滅亡させ、返す刀で小谷城を陥落させた。その信長から小谷城と北近江20万石を与えられた秀吉は、小谷城を捨て長浜に城を築いた。そして家臣団を精力的に形成した。石田佐吉少年が秀吉に見出されたのはその時期のこと。横山城が何処にあったのか、ボクは湖東を通過する度に地勢を観察してその位置を知ろうとしたが、遂に今まで分らなかった。観音寺に来て・ようやくその手掛かりを得て見当がついた。
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