但馬妙見・日光院は、高野山真言宗の寺院。
↓本堂。本尊は「妙見大菩薩」。↓薬師堂。本堂の左側にある。
↓右・本堂、左・薬師堂。
中央・本堂。右に稲荷社がある。
奥に本堂と薬師堂が見える。
日光院は、江戸時代を通じて・現在の名草神社の境内に在って繁栄した。それが、明治新政府の神仏分離令によって山麓に下ろされ・末寺を日光院とする破目になった。他方・山上の境内と伽藍は神社として純化されて・当時・式内社として名のみ残るが得体の知れなくなっていた「名草神社」の名を冠して残ることになった。新政府は、妙見信仰の様な・神仏習合した宗教を嫌い弾圧した。修験道も同様に禁止された。妙見山上に残る重文・三重塔は、但馬妙見・日光院の伽藍だったのである。この三重塔、元は出雲大社の三重塔だったものが、妙見杉を献上した御礼に但馬妙見に譲渡されたそう。出雲大社も近世までは神仏習合しており、境内には神社の社殿や寺院の堂塔伽藍が建ち並んでいた。
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