↓地図によると、左下に「吉野宮跡」があるはずなんだが、行ったり来たりするが見当たらない。
ようやく柴橋のたもとで「宮滝」の案内を見つける。手がかりを得た。話では、宮滝遺跡と重なるようにその上に吉野宮が建てられていたそう。柴橋を渡る。
橋上から吉野川の上流を見る。
下流を見るる
↓この図の中央やや左の円内に、宮滝遺跡・吉野宮跡がある。その右側で川を渡っている地点が柴橋。
↓この地図を見ると、吉野宮跡と吉野山(千本桜の山)の関係がよく分る。右上に吉野宮跡がある。左側に吉野山、左上から近鉄吉野線が伸びて来て・終点近鉄吉野駅がある。吉野宮跡から吉野山の奥に抜ける道を、源義経が兄に追われて落ち延びる時に通ったそう。人呼んで義経道。
↓柴橋。上流方面。
橋上から下流方面を見る。
↑↓左側から小川が流れおちている。これが万葉時代に有名な歌枕になっていたそう。
↓万葉集にある・吉野川にそそぐ小川。この小川を上流に少し辿ると、次に紹介する桜木神社に着く。
↓遂に「宮滝遺跡」の史跡表示を発見。柴橋を渡り返した地点。
雷神の木造。村に住む木工の達人が創作。木彫ではない。木の切れ端を繋ぎ合わせてある。この雷神像のある辺りがまさに吉野宮跡のある所だった。村の中心街でもあった。しばらく小さな市街地を歩き回って見た。
↓宮滝遺跡、吉野宮跡。
象山
三船山方面
↓発掘遺跡から吉野宮を復元してみた模型図。
〇大海人皇子が天智天皇の牙難を脱して一時退避し・決起を期した吉野宮の所在地に到達したことは確か。吉野宮歴史資料館が山裾に見えたが、会館時刻が10:00だというので1時間以上も待たねばならない。とてもとてもと思ったので、いよいよ壬申の乱の征路探訪の旅に出る。
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