2014年8月29日金曜日

〇8/11(月)「奥の細道紀行」(11) 日光「神橋」「本宮神社」

○日光山の入口にある「神橋」。川は大谷川。上流に行くと後で紹介する「カンマンヶ淵」がある。神が渡御する橋で、人間は渡れない。




○この神橋がいずれの社寺に属するかが問題。正解はどうやら「本宮神社」らしい。本宮神社はどこにあるか。一般にはこの神社は名すら知られていない。↓実は神橋の向かいに本宮神社参道の入口がある








↓本宮神社拝殿

↑「本宮神社(重要文化財) 古くは、新宮(現在の二荒山神社)・滝尾と共に、日光三社と呼ばれた。創建は大同二年(806)、祭神はアジスキタカヒコネノ命。現在は二荒山神社の別宮。‥‥」
↓拝殿・重要文化財
↓本殿・重要文化財




↓笈掛石(おいかけいし)「勝道上人が笈を立て掛けて休息したと伝えられる」。勝道上人は、日光山を開闢したと伝えられる修験行者。今も修験者が背に負う笈を立て掛けて参拝するそう。
↓四本龍寺・三重塔、重要文化財


↓「四本龍寺三重塔・重要文化財 日光山24世座主弁覚が、将軍源実朝の供養のために1241年に東照宮境内付近に建立。その後この地に移された。1684年の大火で焼失、翌年再建されたのが現在の塔である。‥‥」
↓「四本龍寺紫雲石 ここから西南に少し離れた唯心院境内の礼拝石で、勝道上人が、ある日、礼拝をささげた折、この石の辺りから紫の雲が立ちのぼり、男体山の方へたなびくのを見たということから、紫雲石と呼ばれる。そしてこの地を四神守護の聖地として、四本龍寺を建てたという。現在は、観音堂、三重塔のみだが、日光発祥の地であり、奈良、平安時代の日光の中心地であった。」


↓観音堂


↓三重塔と観音堂
↓三重塔と観音堂の間に残る不動明王石像と護摩壇。日光修験道の峰修行の遺跡。





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