今年の夏休み旅行は行き先に窮した。日本中主な所は行き尽くしたから。もう無宿流浪の旅はお仕舞いにしようかと思ったが、不図閃いたのが松尾芭蕉の奥の細道旅行の足跡をそのまま踏襲して回ること。興趣が湧いた。ので、今夏はこの案を実行。
実行してみて痛感。思いつきでやれる旅じゃぁなかった。準備・研究・段取りが必要。何と言っても芭蕉の足跡を徹底知らねば不可能。で、一応《奥の細道》を二度読んで臨んだんだが。読めば済むものじゃぁなかった。
曽良の随行日記というものがある。昭和になって奇跡的に発見された。たんたんと旅程がメモされている。この随行記を検討するとメモされた行程と芭蕉の《奥の細道》の内容が往々にして矛盾する。曽良には嘘を書く理由が全くない。が、芭蕉にはある。芭蕉はその作品が後世まで読み継がれることを意識した文人・文学者。俳人・文学者としての創造性・感受性を大切にして作品を劇的に構成した。《奥の細道》は単なる旅行記ではなくその本質は文学作品なのだ。芭蕉が奥の細道旅行で出逢った事物の大部分は大胆に省略されている。書かれたことも微妙に奔放に装飾構成されている。それを真に受けて《奥の細道》を辿って行くと路頭に迷う。曽良の残した旅程に忠実な随行日記の携帯が絶対必要なわけ。
が、ボクは安直に《奥の細道》一篇を手にして旅に出た。くどいが芭蕉は文学的観点から不要と感じたことは徹底省いた。採用されたことも微妙奔放に構成し装飾した。ボクが現地で行き詰まらないわけがない。しかも現地は350年前とは別世界。芭蕉と曽良が歩いた旧街道は今無きに等しい。車社会の到来により旧街道は破壊され或は人知れず放置された。芭蕉が路傍死も覚悟で求め歩いた《歌枕》など現代の有様ではどれだけの価値があるのか怪しくなったが、それは措くとして芭蕉が探訪した《歌枕》を今再訪することは一種遺跡発掘に似る。《奥の細道》の時代状況と現代の状況は違い過ぎた。芭蕉の歩んだ《奥の細道》は今半ば以上が埋もれている。ボクは道中俄かに参考文献を入手して研究を始めたりなんぞしたが、なかなかどうして。
で、ボクの奥の細道紀行は散々手間取り丸一週間かけて全行程のやっと五分の一程で止まった(六分の一かな?)。江戸深川の芭蕉庵から始めて白河の関を越えて仙台の手前、陸前名取宿までで一旦中断。次に旅に出るときは準備・研究・段取りをしっかり積んで、曽良の随行日記に原則忠実にやらねばなるまい。それに世の中には数奇人が居て芭蕉が探訪した《歌枕》に辿り着くための現地情報を詳細に提供してくれている。現地を踏んだ先達の情報は有難く貴重。参考にさせて戴かねば。
と書いてきたが、ボクは別に無駄な草枕を重ねたわけではない。進路に迷いてこずることが多かったが人の親切にも導かれて、陸前名取宿までの芭蕉の足跡はほぼ忠実に辿り切った。芭蕉が堪能した《歌枕》をボクはボクなりに味わった。今後編集する奥の細道紀行の執筆はそれ自体悪戦苦闘になりそうだが、でも皆さんにはそれなりに楽しんで戴けるんじゃないかなぁ。読んで下さい。
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