〇福島宿を過ぎて「文字摺観音」に着いた。すぐ向かいに信夫山が横たわっている。芭蕉が探訪にこだわった「信夫文字摺石」がある。
↑「奥の細道」より引用。「二本松より右に切れて、黒塚の岩屋一見し福島に宿る。あくれば、しのぶもち摺(すり)の石を尋ねて、忍ぶのさとに行く。遥か山陰の小里に、石半ば土に埋もれてあり。里の童部(わらんべ)の来りて教えける。「昔は此の山の上に侍りしを、往来の人の麦草をあらして此の石を試し侍りしをにくみて、此の谷につき落とせば、石の面下ざまにふしたり」と云う。さもあるべき事にや
《早苗とる手もとや昔しのふ摺》
↓松尾芭蕉の銅像
↓文字摺石。石の表を下にして臥しているという。今は隠れた表には文字文様があり、昔の人はその文様に布地を当てて擦って文様を写し取った布地を作ったらしい。信夫文字摺りというブランドで。
↓観音堂
《陸奥の忍ぶもち摺誰故に 乱れ染めにし我ならなくに》
↓多宝塔↓沢庵和尚歌碑
↓相田みつを歌碑
↓正岡子規句碑
《涼しさの昔をかたれしのぶずり》
↓夜泣石
↓源融の墓
芭蕉句碑
《早苗とる手もとや昔しのぶ摺》
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