8/13(水)
06:20 起床。道の駅那須高原友愛の森で。友愛という言葉が気持悪リィ。
07:07 出発。殺生石に向けて。殺生石は那須温泉湯元にあった。虫はすべて死ぬという話だったが、赤とんぼが五万と飛んでいた。温泉神社に参詣したら、芭蕉の句碑があった。芭蕉が神社に参詣したのは、曽良の随行日記で確か。
次は芦野で「遊行柳」と面会。山を越え越え行く道で徒歩で越すのは大変だったろう。
「白河の関」を訪ねる前に栃木県・福島県の国境で「境の明神」に参拝。国境を挟んで両県側に一社ずつある。小社。国境を越えて右折すると山越えして「白河の関」に着く。今でこそ「白河の関」といえば幕末に松平定信が定めた「旗宿」所在の「白河神社」に隣接した古蹟がそれと相場が決まっているが、芭蕉当時は相場がなく三説ほどが対立していた。史跡としての整備もなされていなかった。それで芭蕉は、これぞ白河の関だと指示されても確信できず、「関山」という地名の辺りも探りつつ白河宿に抜けていった。ボクも芭蕉に倣って「関山」を探訪がてら走ったが、「←関山
2km」の標示を発見して通り過ぎ慌てて引き返して探ったが、該当地点に来てもそれらしい地名がない。結局「関山」=白河の関説は影が薄い。但しその地点にあった郵便局名は「古関郵便局」。
白河の関の史跡内に、芭蕉の句碑がない。そんなバカなとむきになって探したがない。それが、駐車場前の社務所の片隅にはあった。《関守の住処(すみか)を水鶏(くいな)に問ほうもの》 賽銭箱付きで。遺憾なのは、関跡史蹟の隣に整備されていた大きな公園の中に芭蕉と曾良の銅像が立っていたのを後で知ったこと。面会して写真を撮りたかった。
14:00 白河の関、出発。
今日は一日夏空。旅に出て初めて大雨にやられなかった。しかし白河の関を越したときには力尽きた感じ。白河の関を越えたのを記念に今回の旅行はこれで打ち止めにしようと思った。大雨に祟られて心身ともに落ち込んだ。それに今回企画した芭蕉の足跡を徹底して辿るには勉強不足だった。そして何といっても足腰の老衰化は想定外にひどい。
ただ止めるにしても、関東に戻るのは愚か、渋滞必至。会津から越後国下越に出るしかないか。と思いダラダラと須賀川・郡山を目指していたら、須賀川宿の手前で「鏡池・かげ沼」の小さい案内表示を思いがけず発見。奥の細道の中でもこの池沼は不思議な存在。芭蕉が実際に尋ねたのか訪ねないのか、そもそも固有名詞か否かも判然としないように書かれている。それが突如現実のモノとしてボクの目に飛び込んだ。シャキッとした。
須賀川の市街地で市営の松尾芭蕉記念館を訪ねた。記念館は別の場所にあったんだが、係の女性が行き場所・探訪先を親切丁寧に教えてくれた。松尾芭蕉記念館に回るとそこでも女性陣が親切。閉館17:00の25分前のこと。須賀川の住人で・芭蕉を四泊させて旅を充実させてくれたのは等窮さん(奥の細道には「四五日逗留」と書いてあるが、曾良随行日記によると七泊八日したらしい)。この人と芭蕉・曽良の出会いをテーマにした小公園と等窮邸跡も見学した。一気に旅が充実した。どこで切り上げるか、明日須賀川の残りの芭蕉ゆかりの地を回り、郡山に辿り着いたときに考えよう。帰路を考えたら、北上できるのはあと二日。ボクは毎日人の親切に助けられながらここまで芭蕉の足跡を忠実になぞってやってこれた。親切はありがたい
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