〇「釣月軒」は生家の後園に建つ。芭蕉の若き日の書斎。芭蕉はここで俳交のあった伊賀上野の諸氏の発句に自句をも交え、これを左右につがえて三十番の句合とし、さらに自ら判詞を記して勝負を定め、書名を「貝おほひ」と題し、序文の後尾に「寛文12年正月25日、伊賀上野松尾芭蕉宗房、釣月軒にしてみづから序す」としたため、産土神である上野天神宮に奉納して文運を祈願した。その春、芭蕉は江戸に赴いた。芭蕉の江戸流寓はこの時期から始まる。
↓右奥・生家裏、左・釣月軒
↓釣月軒の横に芭蕉が植えられている。
↓釣月軒の内部
〇釣月軒のさらに奥の庭に「無名庵跡」がある。
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