2015年1月23日金曜日

〇芭蕉「奥の細道紀行」北陸路(4) 氷見市「有磯海(ありそうみ)」

わせの香や 分け入る右は有磯海
この句は、倶利伽羅峠から雨晴海岸を見下ろして詠んだそう。「有磯海」がどこを指すのかについては定説がない。富山湾の海岸線全体を漠然とさすという説もある。氷見の雨晴海岸のことを指すという説もある。芭蕉は眼下の雨晴海岸の辺りを有磯海と見たらしい。芭蕉は歌枕探訪に氷見・有磯海に脚を延ばそうとしたが諦めて高岡に向かった。歌枕は万葉集の大伴家持の次の歌に表れる。
(うま)(な)めていざ行かな渋渓(しぶたに)
清き磯廻(み)に寄する波見に
↓雨晴海岸・有磯海。岩に名前が付いている。左から男岩、女岩、木の生えている岩が義経岩。
 ↓義経岩。背景は能登半島・中能登地方。
 高岡・氷見を結ぶ鉄道。昔はJR氷見線と称したんだが、今は何と呼ぶんだったか。高岡に向かっている。
 ↓男岩
  ↓また気動車が来た。左・男岩
  高岡方面を望む。岩は女岩
 女岩

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