北国銀行の前に人知れず「芭蕉の辻」の標石が立っている。
↓「元禄二年初秋・焦翁奥の細道途次道蹟」
〇曾良随行日記によると芭蕉の金沢入りのくだりはこうなっている。《十五日‥‥クリカラヲ見テ、未の中刻、金沢ニ着。京や吉兵衛ニ宿かり、竹雀・一笑ヘ通ズ、艮刻、竹雀・牧童同道ニテ来テ談。一笑、去十二月六日死去の由》 芭蕉は金沢で一笑に会うのを楽しみにしてきたが、彼は既に死んでいた。芭蕉は彼のために有名な慟哭の句を残す(後で紹介)。
〇《十六日 快晴。巳ノ刻、カゴヲ遣シテ竹雀ヨリ迎、川原町宮竹や喜左衛門方ヘ移ル。段々各来ル。謁ス。》 芭蕉の辻は旧川原町にある。芭蕉と曾良が芭蕉の辻に宿を移したのは、金沢到着二日目だった。宮竹屋喜左衛門という商人の家が旧川原町にありそこに泊まった。
〇芭蕉と曾良は金沢で九泊十日の日を過ごした。一日、宮ノ越(金石)にも足を延ばしている。
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