↓これは忍者寺。この寺の裏に目指す願念寺がある。
↓願念寺
↓「松尾芭蕉・小杉一笑ゆかりの寺 願念寺
蕉門の俳人・小杉一笑の菩提寺 境内に一笑塚がある。また、元禄2年(1869)「おくの細道」で来遊した松尾芭蕉が一笑の追悼会に出席し、その死を悼み詠んだ「つかもうごけ我泣く声は秋の風」の句碑もある。‥」
本堂。寺は小さい。
↓右・芭蕉句碑「芭蕉翁来訪地 小杉一笑墓所」
《つかもうこけ我泣こえハ秋の風》
左の石碑「木一山 願念寺」
↓「一笑塚」↓右側に小さく一笑の句が刻んである。
《心から雪うつくしや西の雲》
〇一笑について芭蕉はわざわざ一筆認めている。芭蕉が金沢のくだりで奥の細道に記した文章はたった次の少文だけ。《‥くりからが谷をこえて、金沢は七月中の五日也。ここに大阪よりかよふ商人、何処(かしょ)と云者有。それが旅宿をともにす。一笑(いつせう)と云ものは、此道にすける名の、ほのぼの聞えて、世に知人も侍しに、去年(こぞ)の冬早世したりとて、其兄追善を催すに、
塚も動け我泣声は秋の風
ある草庵にいざなはれて
秋涼し手毎にむけや瓜茄子(うりなすび)
途中吟
あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風》
これだけ。これだけの文章の中に一笑が占める比重はいかにも大きい。芭蕉は金沢で一笑と会えるのを期待していた。
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