元日・三木市の伽耶院(がやいん)を訪れるまでは天候から何から何まで順調。次女明神の顔を拝した御利益が及んでいた。それが伽耶院に到着した時(15:30)から一変。雪が降り出した、大した雪ではなかったが。伽耶院は好かった。伽耶院を後にし山陽道から中國道に入ったころから雪渋滞が始まった。辛抱を重ねて名神高速高槻を過ぎた後・大山崎渋滞11km、名神京都東・栗東間雪通行止めの標示を見て名神を下りた。下道国道171号線を北上。京都九条に入り山科から大津を目指す。九条まで順調。いきなり東寺の五重塔がライトアップされているのを見た。幻想的。東大路七条で車列が完全にストップ。智積院・妙法院の石垣を右に見てそこを1時間かけても通過できない。五条通り清水坂・国道1号線に入ろうというのだが、車列が全く動かないのは異常。辛抱の末決断して五条清水坂交差点の手前の馬町の交差点を右折。どんどん行くと結局国道1号線の清水坂を下る車線に出てしまった。それによって得た情報が大事だった。反対車線に見たものは、大した雪でもないのに清水坂を登れずに立ち往生している情けない車たち。関西人は冬でも冬タイヤを履かない者が多いのだ。これじゃ待てど暮らせど京都から脱出できない。そのまま五条通を西進し川端通りを北上すべく右折。三条蹴上の坂を登って逢坂山・大津のコースを狙ってみたが、蹴上の坂の勾配の方が清水坂の勾配よりもきつい。期待していなかったが川端通りから観察すると、やはり三条通の車列も動かない。三条通に入らずに直進、大原を目指す。朽木(くつき)街道を北上して京都を脱出しようとする腹。大原から北上を続けると若狭・小浜に抜ける途中に「途中越」という峠がある。そこで右折し琵琶湖方面に下ると堅田・琵琶湖大橋に至る。琵琶湖大橋の袂に道の駅「米プラザ琵琶湖大橋」がある。今夜はそこで寝ようという算段。京都脱出路はもう一本ある。北白川から坂本に抜ける山中越え道。蹴上坂で立ち往生する情けない車たちがこの峠を越えられるわけがない。この道も車列が一寸も動かない状態に陥っていることは目に見えている。初めから挑戦外。大原越えの挑戦は成功。琵琶湖大橋袂の道の駅に到着した時は午後11時。予定通り高速を乗り継いでいけば、七尾の家に午後9時半には到着していたはず。こんな事態は北陸の人間には考えられない。みんな冬タイヤに履き替えて清水・蹴上の坂など難無く越している。情けない話。
正月2日、道の駅で目覚めたのが07:30。京都東・栗東間は相変わらず通行止め。栗東から名神高速に入り米原で北陸道に入って戻ってきた。終始50km/h規制。夕方、裕の家にお邪魔し正月料理を御馳走になる。御屠蘇も戴く。御屠蘇とは、屠蘇散(とそさん)という漢方薬を入れて飲むからそういうそう。裕の家で一泊。
今日は正月3日。午前中未だ裕の家にいる。昼はエストに行って昼食を摂りコーヒーを飲む。そして自宅に入る。女房は明日帰ってくる。
0 件のコメント:
コメントを投稿