〇【奥の細道】《山中の温泉(いでゆ)に行くほど、白根が嶽(白山)後にみなしてあゆむ。左の山際に観音堂あり。花山の法皇、三十三所(西国33箇所観音霊場)の順礼とげさせ給ひて後、大慈大悲の像を安置し給ひて、那谷(なた)と名付け給ふとや。那智(西国33箇所観音霊場第一番・那智山青岸渡寺)・谷汲(同第三十三番・谷汲山華厳寺)の二字をわかち侍りしとぞ。奇石さまざまに、古松植えならべて、萱ぶきの小堂、岩の上に造りかけて、殊勝の土地也。》
《石山の石より白し秋の風》
↓山門
↓観音堂↓千手観音像。巨大、美しい。
↓大悲閣拝殿・重文
↓三重塔・重文
↓芭蕉句碑。右側
↓左・句碑、右・翁塚
↓翁塚
↓芭蕉句碑(写真が90°横になっている)
《石山の石より白し秋の風》
↓護摩堂・重文〇奥の細道の記述では、この後山中温泉に向かうことになっているが、実際の行程は全然違う。曾良の随行日記に記された旅程が正しい。芭蕉は、7月27日に小松から山中温泉に行き、8月5日に曾良と別れ、北枝を伴って再び小松に戻っている。そして小松に戻る途中で那谷寺に詣でている。
【曾良随行日記】《五日 朝曇り。昼時分、翁・北枝、那谷へ趣く。明日、小松に於いて生駒万子の為め会に出ずる也。‥‥》
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