2015年3月13日金曜日

〇芭蕉「奥の細道紀行」北陸路(30) 加賀市大聖寺「全昌寺(ぜんしょうじ)」

〇「全昌寺」は、地元石川県民にすらほとんど知られていない。しかし「奥の細道」紀行文全分量の中に占める割合は破格に大きい。全昌寺での体験は芭蕉にとって重要だったのだ。この寺に泊ることになった縁は、山中温泉の泉屋の菩提寺がこの寺だったので、泉屋久米之助(桃妖)の紹介を得たらしい。
以下、全昌寺のくだりの全文を書き出す。
〇【奥の細道】《大聖持の城外、全昌寺といふ寺にとまる。猶、加賀の地也。曾良も前の夜此の寺に泊りて、
終霄(よもすがら、霄はショウ・そらと読む)秋風聞(きく)やうらの山
と残す。一夜の隔(へだて)、千里に同じ。吾も秋風を聞きて衆寮(僧たちを宿泊させる所)に臥せば、明(あけ)ぼのゝ空近う、読経声すむまゝに、鐘板鳴って、食堂(じきどう)に入る。けふは越前の国へと、心早卒にして堂下に下るを、若き僧ども紙硯をかゝえ、階(きざはし)のもとまで追い来る。折節、庭中の柳散れば、
庭掃(はい)て出(いで)ばや寺に散(ちる)
とりあへぬさまして、草鞋ながら書(かき)捨つ。》
↓全昌寺に着いた。中央やや左・山門、左端・羅漢堂、山門右・本堂、右端・方丈。
 ↓山門脇の石碑 「五百羅漢 芭蕉旧跡 曹洞宗熊谷山・全昌寺」
 ↓「この寺はもと山代にあったが慶長二年(1598)大聖寺城主山口玄蕃頭宗永公の信仰を得て大聖寺に移された。
元禄2年(1689)8月俳人芭蕉と曾良が奥の細道行脚の途中ここに宿泊されたその時の句は後に句碑として境内に残っている。
寺宝には杉風作の芭蕉木像、兆殿司作と伝える絹本着色釈迦三尊十羅刹女図太閤秀吉朱印状等がある。
また別棟に慶応3年(1867)作の五百羅漢像が五百体揃って安置されている。‥‥」
 ↓本堂

↓杉風作の芭蕉像





 ↓「奥の細道」全昌寺のくだりの全文が刻されている。
 ↓はせを(芭蕉)塚と曾良の句碑の解説文
 ↓左から木圭句碑、芭蕉句碑、芭蕉塚、曾良句碑。
 ↓者勢越(はせを)塚
 ↑右側面の芭蕉句碑は風化で読み取れない。
 塚の左に新しい芭蕉句碑が立っている。
《庭掃ていでばや寺に散柳》
 ↓曾良句碑 《終夜秋風きくやうらの山》
 ↓深田久弥(九山)の石碑



  ↓羅漢堂中央
 ↓圧巻は羅漢堂の五百羅漢像。迫力満点。これは向かって左側の並び。


 ↓右側の並び


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