〇朝六時半、道の駅・朝日で目覚め。旧・朝日村、今・村上市。その村上市の日本海側に「笹川流れ」という景勝海岸があることを御存じだろうか。ボクは言葉だけは知っていた。昨夕、鼠ヶ関跡から越後の国に入った時国道が分岐した。右に行けば「笹川流れ」、左に行けば国道7号線を辿って村上市街の表示を見た。ボクはちょっと迷って国道7号線を選んだ。夜が明けて村上市街から南下し始めた時、決心した。生涯二度と村上市の日本海側を走ることはない、行ってみようと。旅の流れに逆行して日本海側を北上した。写真をたくさん撮った。行ってみただけのことがあったかどうか、後日報告する。
〇胎内市の乙宝寺を訪れた。重文・三重塔を見たかった。案内板を見ると、芭蕉の句碑があるという。想定外だった。乙宝寺を去った後、曾良の随行日記を読み直して不覚を思い知った。芭蕉と曾良は乙村の乙宝寺に参詣していた。はっきりそう日記に書いてある。乙宝寺の若い僧は、芭蕉の句碑が何故乙宝寺にあるのか知らない。どうやら乙宝寺自体が曾良の日記の記事を知らない可能性がある。何せ曾良の随行日記は、それが存在していたことは知られていたが日記そのものは消えて無くなっていた。それが忽然と姿を現したのは近時である。《奥の細道》が単なる紀行文ではなく創作された文学作品であることは、曾良の随行日記が現代に蘇ってから初めて分かったことである。曾良の日記は《奥の細道》研究上の・その余りの重要性の故に国宝に指定された。《奥の細道》には越後国での出来事はほとんど書かれていない。しかし、曾良の日記には越後国内の足跡の克明な記録がある。乙宝寺関係者は《奥の細道》は読んでいても《曾良随行日記》は読んでいない、多分。
〇弥彦神社に参詣。芭蕉も参詣したから。そこで発見。宝光寺という神社傘下(多分)の寺院に、芭蕉句碑があった。
〇寺泊と出雲崎を探訪。出雲崎に、芭蕉苑が作られていた。芭蕉が一宿した宿屋・大﨑屋跡の向かいの土地に。
〇今夜は、妙高高原・ペンション「シェーネ」に泊っている。明日・土曜日、家に着いた時に今度の流浪の旅・奥の細道紀行は終わる。今回は随分恵まれた旅だった。何せ全期間、快晴に恵まれた。こんな好運は生涯二度とない。
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