〇以下は、山寺・立石寺の写真で有名な光景である。
左、岩の上の小さなお堂が「納経堂」。右の堂宇が「開山堂」
↓開山堂の右横をすり抜けて「五大堂」に行く。
↓頭の上の屋根のようなものが五大堂の床。
五大堂から見た天童市山寺地区。右寄りにJR山寺駅が見える。
↓釈迦が峯の稜線。やや右側の尾根にお堂が見えるが、それは釈迦堂。今は道が閉ざされ危険で誰も行けない。
↓釈迦堂。絶壁過ぎ。
↓五大堂。五大堂と云う以上、その昔、五大明王像が祀られていたに違いないが、今は全くのがらんどう。右手前に一部見えるのは、盤司祠(ばんじほこら)。神が祀られているんだろう。
↓下山
↓「抜苦門(ばっくもん)」。ここは下界、本堂境内の内。
↓立石寺・本坊
↓立石寺を後にして車道を歩いていて撮影。左側の崖は多分百丈岩(蝉塚の背後に聳えていた岩)。崖の右上に小さく見えているお堂が多分「五大堂」。
〇こうしてボクは立石寺の探訪を午前中に終え、最上川に向かう。芭蕉と曾良は下山したとき夕暮れだったので、予約してあった立石寺の宿坊に入り一泊した。
〇芭蕉は、尾花沢~山寺は馬に揺られて旅した模様。《曾良随行日記》で察しがつく。
『(五月)廿七日 天気能(よし)。辰ノ中剋(たつのちゅうこく・午前8時20分頃)、尾花沢ヲ立ちテ、立石寺ヘ趣く。(鈴木)清風より馬ニテ館岡迄被ㇾ送(おくられ)ル。‥‥(‥、馬次間に内蔵(人名)ニ逢う)‥‥、山寺(宿預かリ坊。其の日、山上・山下巡礼終わル)。未の下剋(ひつじのげこく・午後3時頃)ニ着く。‥‥』
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