《曾良随行日記》より、
『〇十五日 象潟へ趣く。朝ヨリ小雨。吹浦ニ至ル前より甚雨。昼時、吹浦ニ宿ス。此の間六リ(里)、砂浜、渡シ二(ふた)ツ有り。佐吉(呂丸)状届く。晩方、番所裏判(うらばん)済み。
〇十六日 吹浦を立つ。番所を過ルト雨降り出ル。一リ(里)、女鹿。是より難所。馬足不通。番所手形納む。大師崎共(とも)、三崎共(とも)云ふ。一リ(里)半有り。小砂川、御領也。庄内預リ番所也。入りニハ不ㇾ入手形(てがたをいれず)。塩越迄三リ(里)。半途ニ関ト云ふ村有り(是より六郷庄之助殿領)。ウヤムヤノ関成(なり)ト云ふ。此の間、雨強ク甚濡る。船小ヤ(屋)入りテ喰う。所ノ祭ニ付 而(つきて)女客有るニ因りテ、向屋ヲ借リテ宿ス。‥‥』
〇「塩越」 象潟の海水は塩越から出入りしていたそう。
↓「吹浦」「三崎」というゆかしき地名を発見。
↓右側に現在地・三崎公園がある。そこに矢印して「有耶無耶の関」と書いてある。左側にJR吹浦駅があり、駅のすぐ右に「鳥海山大物忌神社・出羽一宮」がある。駅の上に「十六羅漢岩」がある。いずれも2011年に探訪している。後で紹介。図中央やや右にJR女鹿駅・女鹿漁港とある。
↓ 奥の細道・旧道らしい。この先、三崎峠越えの道は「馬足の通れない」難所だったそう。
↓三崎山。このあたりに「有耶無耶の関」があったらしい。今は影も形もない。
↓鳥海山。吹浦から見る鳥海山は形が良くない。
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