2015年7月8日水曜日

〇《奥の細道》紀行・越後路(8) 旅宿第9・10夜「今町(直江津)」

曾良随行日記》より、
〇六日 雨晴。鉢崎ヲ昼時、黒井ヨリスグニ浜ヲ通りテ、今町ヘ渡ス。聴信寺ヘ弥三状届ける。忌中ノ由ニテ強い而(て)不止(とめず)、出ず。石井善次郎聞きテ人ヲ走らス。不ㇾ帰。及再三、折節雨降り出ル故、幸ト帰ル。宿、古川市左衛門方ヲ云い付けル。夜ニ至りテ、各来ル。発句有り
〇七日 雨不ㇾ止(やまざる)故、見合(みあわせ)中に、聴信寺ヘ被ㇾ招。再三辞ス。強いて招クニ及暮。昼、少し之内、雨止む。其の夜、佐藤元仙ヘ招テ俳有りテ、宿。夜中、風雨甚。』
◎「黒井ヨリスグニ浜ヲ通りテ、今町ヘ渡ス」 芭蕉と曾良は鉢崎から直江津へは海辺を船で渡った。
◎芭蕉が越後路に冷淡になった原因の、その三は上の事件。聴信寺の者は「忌中」を口実に芭蕉を泊めるのに好い顔をしなかった。芭蕉は大いに臍を曲げた。
◎ボクが原因として挙げた三件のうち二件は、美濃国の商人宮部「弥三郎」こと俳人「低耳」の紹介状が絡んでいることにも注意が要る。低耳に信用がなかったことも一因かも。低耳は象潟で芭蕉一行を後から追ってきて、所々を巡るのについてきた。
↓「聴信寺」発見。直江津の街の中。


↓旅宿「古川屋」探訪。JR直江津駅前。
 駅前に「古川屋」があるはずなのに、幾ら探しても見当たらない。この駐車場がその跡らしい。
 ↓NET検索で古川屋が廃業し駐車場化していることを知った。写真は古川屋の支点。本店は別の所にあった。芭蕉は本店のあった所に泊ったらしい。
〇直江津「琴平神社・芭蕉句碑」



 《文月や六日も常の夜には似ず》


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