2015年9月3日木曜日

〇《奥の細道紀行》8/9(日)新潟県村上市「井筒屋」 芭蕉が二泊した旅館

芭蕉と曾良は村上城下に二泊した。その事績は曾良の随行日記に書き残されている。随行日記記載の村上における事績全部を探訪しようと試みた。村上城の麓から初めたが出だしはすこぶる不調。挫折するかと思えたが走り回っているうちに芭蕉が二泊した宿「久左衛門」(井筒屋)を偶然発見し、そこで女性から懇切な行き先の案内を受けてからすべてが快調に回り出した。それまでに探索できていたのは岩船神社の句碑二基と瀬名海岸・瀬名温泉だけ。肝腎の井筒屋と寺院二箇所・句碑二箇所に迫れていなかった。それにしても井筒屋の女性は親切だった。家付き娘だろうか。ここから浄念寺(泰そう院)・浄国寺(今は亡き光栄寺の隣)、そして地蔵堂と稲荷神社の二つの句碑にもとんとん拍子に辿り着いた。最後に重文武家屋敷・若林家まで探訪。
↓村上市内を走り回って挫折感を味わっていた頃、不図眼の焦点を合わせると、目の前の建物が「井筒屋」ではないか。




↓この看板の右下隅に「以津ヽ屋(いづつや)」の文字が見える。


↑「「小町」(こまち)  大町の北に続き、中ほどでクランク状に折れて小町坂を下り、庄内町に接する。小町坂の部分を古くは下小町と呼んだ。寛永12年(1635)の村上惣町並銘々軒付之帳によれば、家数は「小町」34、「下小町」13とあり、元禄2年(1689)、芭蕉が奥の細道の途次、弟子の曾良と2泊した「宿久左衛門」があった。旅籠屋の多い町で、安政2年(1855)、幕末の志士清川八郎も投宿し、城下の見聞を書き残している。町名は大町に並ぶ古い町立てから。」

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