〇新庄市街地で、芭蕉が二泊した渋谷甚兵衛・俳号風流宅跡を探した。精緻な案内図が手中にありそこに風流宅跡が明示され「奥の細道・風流亭跡」の標識が立っているというので楽勝と思って臨んだが、世の中そんなに甘くなかった。ここが該当地と思われる地点を特定したはずだが肝腎の標識が見えない。何度廻って来ても案内標識を発見できない。とうとうセレナを駐車場に留め置いて徒歩で探索を開始した。
↓徒歩でセレナで走り回った道を辿って来た。突き当りはJR線。左が新庄駅で右が柳の清水。案内図の通りとは一筋違うが郵便局の通りを辿ってみることに。
歩いて行くと花畑を作っている若いおばあさんがいた。奥の細道・風流亭跡がこの辺りにあると聞いたんですが分りますかと尋ねたら、目を生き生きさせて山形弁で話す。その訛の強い言葉がよく聞き取れない。が、どうやらここがそうだと言ってくれているらしい。花畑の反対側を指さしている。そこの敷地に入って行けば直ぐ分るそう。ボクはとうとう風流亭跡に辿り着いたと安堵してその家の敷地にお邪魔した。
↓花畑のおばあさんが「奥の細道」の標識が立っていると教えてくれた場所はこの辺りしかない。が、見当たらない。目を皿にして探し回ってもない。↓敷地を抜けて別の通りに出た。右の車庫の裏が先ほどの小庭。急いで小庭に戻り裏の小路に抜けると、さっきのおばあさんが花畑から出て多分家路に就こうとしている。ボクが「奥の細道」の標識がないと話すと、えっ、そんなことはないはずと言って小庭を見に来て言うには、家を新築したときに標識を取っ払って捨てたんかねぇ。新築した家は↓左の家。おばあさんは新築した家の玄関のベルを鳴らしたが誰も出てこない。留守らしい。するとおばあさんは隣の家を訪ねて何やら段取りをしてくれた。そして言うには、隣の人が昔「奥の細道」の標識が立っていた時の写真を保存していてそれを見せてくれるそう。
↓この家に「奥の細道」の案内標識が立っていた。
もっとも風流亭は、後に出てくる「盛信亭跡」近くにあったという説もある。盛信・渋谷九郎兵衛は風流・渋谷甚兵衛の本家に当たるそう。
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