〇明治維新後神仏分離が行われる前は、上野東照宮と寛永寺は習合し一体化していたろう。共に徳川家により造営された社寺だった。
↓この石造大鳥居は重文らしい。
↓唐門と拝殿に着いた。共に重文。
↓舞殿
銅燈籠が48基あるそうで、それらは一体として重文。
↓唐門と拝殿
透塀も重文。
〇拝殿の背後に幣殿と本殿がある。それらも重文。ボクの到着が16:30頃と遅かったために拝観がかなわなかった。拝観は横手から透塀を潜って瑞垣の中に入り拝殿・幣殿・本殿の傍まで近づくことが可能らしい。残念。
↓銅燈籠
〇この東照宮の参道で、ボクの上野公園探訪目的第一位のモノに遭遇する。それは次回に。
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