〇以下は、西行が移築し籠ったという「三昧堂」の紹介である。
↑「歌人西行法師が1177年に大会堂とともに、この地に移築造営した。現在の堂は1848年大火後の再建である。大会堂の前の坂を会堂坂といい、坂の東に西行法師の住坊霊山院があったと伝えられている。」↓三昧堂
↓「本尊金剛界大日如来 ‥座主常に理趣三昧を修せられていたのでこの名がある。その後西行法師これに修復を加え常に行法をされていたので西行堂とも云う」
↓三昧堂の前の「西行桜」
↓「歌人としても有名な西行法師は、1149年32歳頃から約30年間、高野山に草庵を結びました。高野山では大会堂と三昧堂の造営、移築に総指揮として尽力されました。三昧堂移築に際し、西行法師によりお手植えされたのが西行桜の由来です。」西行桜と三昧堂
本尊
↓左・大会堂、右・三昧堂
左・三昧堂、右・東塔
↓左から三昧堂、東塔、西行桜
〇次回は、大会堂(だいえどう)と会堂坂東側の霊山院跡を紹介する。
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