↓楼門を出ると、西宝庫・重文がある
↓左・西宝庫、中央・楼門
↓西宝庫前を一段下ると十三重塔・重文がある。この塔のユニークさは、談山神社のシンボル。↓奥に見えるのは、拝殿の懸崖
↓権殿・重文。塔の西にある
↓権殿の奥(西の端)に末社がある
↓末社比叡神社・重文
↓「談山(かたらいやま)」に登る道
談山で、中大兄皇子と藤原鎌足が談合した――蘇我馬子を宮中で誅殺することに。
↓神廟拝所の前
↓摂社総社本殿。左端は拝殿
↓摂社総社拝殿。右端は本殿
↓神廟拝所
〇談山(たんざん)神社 祭神・藤原鎌足公
鎌足公は614年に中臣御食子(なかとみのみけこ)卿の長子として大和国高市郡大原に生誕。幼名は鎌子。中臣氏の祖は天児屋根命(あめのこやねのみこと)で代々神事を司る家柄。鎌足公は、皇極天皇の御代に中大兄皇子と共に当神社本殿裏山の談山に於いて国家革新の大業を計り、遂に645年「大化改新」を成し遂げられ、さらに近江大津京遷都などの国家事業に尽くし、わが国の隆昌と安泰の為に偉大な功績を残された。天智天皇8年(669)藤原の姓を賜り人臣最高の大織冠と大臣の位を授けられ、同年薨ぜられた。678年、公の長子定慧(じょうえ)はこの多武峰の山頂に父の墓を造り十三重塔を建て父の御霊を弔った。後に701年、方三丈の神殿を建立し御神像を奉安したのが当神社の創始。全国藤氏一族総氏神社でもある。旧別格官幣社
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